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by jmc_music2001jp

<日本の歌100年>「明治・歌の文明開化」

 さきほどBSで<日本の歌100年>の再放送の、ほんの最後の一部分だけを見る事ができました。その中でラフカディオ・ハーンが、その当時すでに消滅の危機にさらされ始めた「日本の童唄」「民謡」「ゴゼ」などに強く惹かれた様子が描かれていました。

 <盆踊り>の唄と踊りへの描写もスゴイものがありましたが、娯楽の少ない当時の農村を、村から村へ唄い歩いた盲目の<ゴゼ>を綴った文章は見事なものでした。この作家の『魂』が<ゴゼ>の唄の奥にひそむ伏流水の水脈を見事に捉えています。

 (このゴゼの唄には)『民族の経験の総量よりもさらに大きなものがある』。白黒の古い映像が、村々を尋ね歩き<門付け>をするゴゼのすがたを映していました。その唄は日本人である私の深層心理の奥の奥に響き、心の奥の何物かを動かします。ハーンのピュアな魂は、この異国の民族の「魂の伏流水」、その水脈に明確に感応したのです。すごい人だと思います。

 約30年程前、西日本に残る童唄を収集して『ふるさとの童唄と遊び』と言うシアタアー・ピースに仕上げたことがあります。私はその発表公演のプログラムに「15年もすれば重要な文化財となるだろう」と書きました。当時すでに、<童唄>は遠くかすかに幻影を留めているような状態でした。「今何とかしておかないと、永遠に消滅してしまう」・・・その気持ちが制作に取りかかる動機となりました。

 今思えば、やって良かったと思います。作品化することで<童唄>と<昔遊び>を、舞台上に生きた形で残すことが出来たのです。この作品は10回近く再演されて、そに度に聴衆の共感を得る事ができました。

 <全国>規模で同じ様に作品化をするべきだ、と思ったのですが・・・未だそのままになっています。そのような動きがあるような話しも聞きません・・・本当にいいのだろうか?・・・と思います。
by jmc_music2001jp | 2009-12-17 03:28 | 芸術随想