小澤征爾“復帰コンサート”
2010年 09月 12日
続いて<東京カルテット>のインタヴューと演奏が放映された。カルテットの魅力について、異口同音に語ったのは、その世界のつきせぬ深さであった。練習中に本気で喧嘩になったり、物事を決定するにも4人の同意なくては決定できない不自由さについても語る・・・それでも尚、弦楽四重奏の世界の《魅力》が勝っているのだ。
「練習中の喧嘩」と言えば、留学中にスィートナーがシェフを務めるベルリン・ドイツ歌劇場の練習を一週間ほど見学させていただいた時の事を思い出す。歌劇場の色々な場所を案内していただいた内に、弦楽四重奏の練習の場にも入れていただいた。そこでも「本気の喧嘩」を目の当たりにした。客人の存在を忘れて本気で<喧嘩>する様子を見ていると・・・こうして4人の個人としての<個の垣根>を互いに崩し、無くそうとしているのだな・・・と理解できた・・・こうして弦楽四重奏の世界が切り開かれて行く。
PMFのレッスンで、弦楽四重奏を指導する池田菊衛(彼は桐朋の同級生)さんの話が印象に残った。「君たち結婚していないから分からないかもしれないが、夫婦はいつも一緒にいるけれど、それでも(男女の間で理解しあうのは)難しいだろう?」・・・それに対して「(メンバーの)私達は、それ程愛し合っていないので分からないワ」・・・と、いかにもトンチンカンな会話が交わされる。もっとも、結婚未経験の彼らに、理解せよと言っても無理な話ではあるのだが・・・。
「人が生きる」と言う感覚には、「自分が生きている」と実感する領域があり、「楽しい気分だから、思わず鼻歌が出た」と言う状況がソレにあたるだろう。しかしもう一方で、人間には「他者との共感・共生」を得たいと言う強い欲求もまた存在する。『夫婦』であったり『親友』であったり『同志』であったりするわけだが、ここには何時の時代にも<苦悩>が同居していた。
ここに<苦悩>した人類は、悔恨の情を込めつつ「恋愛は美しい誤解であり、結婚は惨憺たる理解である」と言う名言を残し、自らを振り返り「そのマンマだワ!」と思い当たる人達は、“綾小路きみまろ”のトークに笑いコロゲルのだろう。しかし弦楽四重奏のメンバーはソレを容認はしない。お互いの『垣根』を完全に取り崩すまで、真剣に喧嘩するのである。それは彼らが「音楽」を通じて、深い次元における人間の生の『完璧なる共生・共感』を希求しているからに他ならない。