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by jmc_music2001jp

2009年《ルツェルン音楽祭》

 アバド指揮によるマーラー「交響曲第4番」を聴いた。オーケストラはルツェルン音楽祭管弦楽団。優れた音楽家で編成されたオーケストラ、これだけの知性を備えた人間が、沢山集まって共に音楽を作り上げようとすること自体が、すでに素晴らしいことである。

 それに今や円熟の境地にあるアバド。音楽は滑らかに進んでゆく・・・これはアバドの音楽的感性と洗練された指揮テクニックの賜物。音楽はあくまで滑らかに澱みなく流れる・・・そこには「毒」もなければ「酔っぱらいがオダを巻く」ことも無い。これは4番と言う「天国」的な「幸せ」のシンフォニーのせいなのだろうか?それにしても、全く「灰汁」が取り除かれた音楽(マーラー)となっている。

 第3楽章には、只ただ静寂な美しい時間だけが流れた・・・しかしマーラーが意図したものは伝わって来なかったように思う。口の悪い輩にかかると「それがドウした?」と言われそうな演奏。マラーは徒然なる想いを旋律に込めようとしたのではないか。言葉に現せない想いだからこそ音楽に込めようとしたのだろう。

 話は変わるようだが、優れた日本料理の板前が根菜の煮物をつくろうとした時、<ごぼう>の持つ「土の香り」を美味しさの要素として前面に出そうとするだろう。<蓮根>でも<人参>でも<里芋>でも、それぞれの持つ「香り」や「灰汁」などの個性的な部分こそが、根菜そのものの存在を感じさせてくれるのではないだろうか?

 しかし、料理人アバドは全ての<アク>を完全に抜きとって、透明で美しく美味しいが、個性の無い料理にして提供した。大変優れた人だと思うだけに・・・チョット残念。

 第4楽章前半の独唱が終わった中間部で、弱音器を付けた弦楽器が<胸をくすぐる>ような弱音を奏でた。この部分が今回の演奏で最高の出来であったと思う。これだけでもう十分だ。4楽章はアバドの解釈そのもので正しいのではないかと思った・・・全てが「天国的」で・・。
by jmc_music2001jp | 2011-08-28 21:17 | 芸術随想