クラシック音楽、jmc音楽教室、音楽企画制作、音楽普及活動、青少年健全育成、メールはkeizo@ohata.name宛


by jmc_music2001jp
 平成29年11月19日(日)Concert シリーズ《音の星座Vol.Ⅷ》に続き<第112回jmc音楽サロン>が開催されました。前日より気温が下がり、急な冬の足音に少々心配いたしましたが、当日は晴れ間も顔を覗かせて寒さも随分と和らぎを見せてくれました。

 《音の星座》は2011年にスタートしたピアノ・トリオの連続演奏会、今回で8回目を数えます。今回はラヴェルの難曲に挑戦、メンデルスゾーンの第2番のトリオとのプログラミングで、アンコールはトリオに編曲されたドヴュッシーの「夢想」。満席のお客さんも堪能してくれたものと思います。

 終演後は、会場の模様替え。サロンの参加者は皆慣れたもので、皆さんがそれぞれにお手伝いをしていただけます。このサロンは平成2年9月にスタート、今回で実に112回目を数えます。ずっと以前からこのような会を夢に描いていた私は、平成元年にジェイエムシー音楽研究所の本社屋を建設する時に、通常の音楽教室としての業務を満たすと同時に、サロン開催の折の使い勝手の良さも満足できるものとなるように設計依頼をいたしました。

 最初の1時間を様々な分野の専門家による講演。その後ホールに会場を変えて30分の生演奏、続いてワインとオードブルで親睦を深め会話を楽しむ・・と言うものでした。新年1月の例会は日本酒を楽しむ集いとし、毎年恒例の例会として定着しています。

 懇親会が進むにつれ会話が弾み、大きな笑い声が幾度となく響き渡ります。そして帰りには『今日は楽しかったァ〜!」と口を揃えて帰られます。心がこんなに開いて親睦の感情に満たされることは他にないのではないか・・・と思いながら、何時もいつも、『いい時間だなァ〜』と心の中で呟きます。人生で最も貴重な時間であるに違いありません。

 これから進めようとしている『音楽仲間』の試みも、この体験を一般化できるのではないか・・との思いから取り掛かる事業です。西洋音楽を導入してから140年、今日世界レベルの演奏家を数多く輩出し、全国に<楽器演奏者>が1091万人いるにも拘らず、西洋音楽が日本に根付いていると言う実感は薄い。

 この現状を一歩先に進めるには、音楽家・アマチュア演奏家・音楽愛好家が共に集う場を作り、そこで「互いに知り合い」「友達になる」ことから新しトレンドが生まれるのではないか・・・と考えています。その場の有り様をいかに組み立てるか・・・それには、これまでの人生で学んだロータリー・クラブの組織運営やjmc音楽サロンでの体験が生かされるものと思っています。

 人と人の<繋がりの場>に『音楽』がある。『音楽』を通じて心が満たされ、人と人の絆が深まるような社会の有り様・・そのような時代を迎えることができたならば、『音楽』が深くふかく社会に根付いたと言えるのではないでしょうか。
<「音の星座Vol.Ⅷ」アンコール演奏>
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# by jmc_music2001jp | 2017-11-21 06:20
第112回<jmc音楽サロン>の開催が11月19日(日)に迫り、jmc音楽研究所のホールでリハーサルが進んでいます。コンサート・シリーズ『音の星座Vol.8』。今回の「トリオの夕べ」はラヴェルとメンデルスゾーンのピアノ・トリオ。

終演後のパーティーでは選び抜いたワインにオードブルをレストランからのケータリングで準備します。ワインはイタリア・フランスから、白3種類.赤5種類。様々な味わいと料理とのマリアージュを楽しむ予定です。

ピアノ・トリオ  イ短調     ラヴェル作曲
Ⅰ 穏やかに 
Ⅱ 充分速く
Ⅲ とても ゆったりと
Ⅳ フィナーレ 活気を持って

ピアノ・トリオ   メンデルスゾーン 作曲
     No.2 ハ短調 Op.66
Ⅰ アレグロ  エネルジーコ エ コン フォーコ
Ⅱ アンダンテ エスプレッシーボ
Ⅲ スケルツォ モルト アレグロ クアジ プレスト 
Ⅳ フィナーレ アレグロ アパショナート
<リハーサル>
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# by jmc_music2001jp | 2017-11-18 01:18
 VierWeg楽典<上級1>、今日は第13章「借用和音」の課題と解答を完成させました。課題を2ページとその解答を2ページ。一番の手間はパソコンには無い<和音記号>を活字として作り上げる作業。もう一つは解答欄の細かい音符に<和声外音>を赤字の↓で示した上で、<和声外音>の<略記号>を配置する作業です。これだけで丸一日かかる作業でした。

 さて、終わったので明日からは全く違う仕事です。出版社からの依頼原稿を書かなくてはなりません。締め切りは15日。それと音楽の専門家に送る『音楽仲間』のお誘いの文章、これを仕上げて先ず福岡とその近郊の音楽家に郵送します。それまでが、次の仕事。その次には19日の第112回jmc音楽サロンが控えています。
<VierWeg楽典<上級1>「借用和音」の解答1>
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# by jmc_music2001jp | 2017-11-11 01:29
 和声外音の<活字>を制作、課題の<解答>に使用しました。<上級1>では続いて「借用和音」(副Ⅴの和音、準固有和音)の課題と解答の制作にかかります。和音については<上級1>ではここまでで止めておいて、<調性判定>の課題に取り組みます。

 残る和音(ドッペルドミナントの諸形態・下方変位、上方変位、ナポリのⅡ、ドリアのⅣ、偶成和音、刺繍和音、倚和音、経過和音、主音上のⅤ、属音の保続音)は<上級2>のカリキュラムに組み込みます。様々な形式についても整理すると、残りは大学入試問題を沢山取り上げ、特に「解答に至る道筋」が見えるような内容でまとめようと構想しています。
<上級1-12章>「解答2」>
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# by jmc_music2001jp | 2017-11-09 01:32
 このところ電子書籍VierWeg楽典<上級1>の制作に打ち込んでいて、昨日・今日は『和声外音』の課題の制作にかかっていました。<課題>と<解答>の制作ですが、<和声外音>の分析を記入するにあたっての<略記号>の活字がありません。和音記号の活字と同じように、<和声外音>の<略記号>の活字の制作を行いました。

 活字を専用ソフトで制作すると、後はソレを一つづつの活字に切り分けて<専用フォルダ>に保存します。何やカヤと手間と時間のかかる作業ではあります。
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# by jmc_music2001jp | 2017-11-07 00:22
 昨晩のBSでN響定期<ドン・ジョバンニ>を観ました。舞台の前面、指揮者の両側に長椅子を2個づつ置いただけの仕掛けに、照明効果のみを加えた簡潔極まりない演出による演奏会形式・・・これが誠に見事な舞台でした!

 カラヤンが亡くなって何年経ったろうか......その後の(ドイツやザルツブルグなどの)ヨーロッパのオペラ演出は、「現代に置き換える」などと適当な思いつきを並べて、普段着を着せたりして、只々安くあげることを最優先にした舞台演出に明け暮れていたように思います・・・それはモウ「目を覆いたくなる」ような状態が続いているのです。

 ところがN響のこの舞台は、削ぎ落とせるものは全て削ぎ落とした舞台に、照明の効果だけの演出に挑んでいる。演出に一瞬の隙もなく、一本の緊張感に貫かれていました。村人が出てきた部分で、ちょっと間抜けな空間が生まれていたのが少々悔やまれますが・・・<村人>だから「間抜け」でいいのかと言えば、そうではありません。「間抜けな演出空間」が生まれたこと自体が問題なのです。今回の演出の素晴らしさは『能』の世界と共通するものを感じます。削ぎ落とせるものは全て削ぎ落とした時に、音楽の本質だけが前面に押し出される。これが今回の最大の収穫ではないかと思います。

 その上、N響の演奏レベルの高さと言ったら!!・・本当にスゴイ!と思う。洗練された技量と、絶妙のアンサンブル、バランス感覚!その洗練度の高さは世界でも最高クラスに評価されるのではないだろうか!・・・日本もいよいよこんな時代を迎えたのかと、目を見張る想いで観ていました。(これからが楽しみです。次の時代の準備を始めなくてはなりませんネ!)
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# by jmc_music2001jp | 2017-10-23 17:15

《リズム》の問題

 BSで東京JAZZの録画放映と同時に、他局でBrunote Tokyoのジャズバンドの演奏が放映されていました。東京JAZZは海外と日本人の演奏、Brunote Tokyoは全て日本人のプレーヤーです。

 日本人のプレイヤーの場合には、いずれの場合も《リズム》の要素が欠けていて、平板な縦割りのリズムを刻んでいるのが特徴でした。海外のプレイヤーの場合は《リズム》の要素が明確に現れて、音楽的にも自然と納得させられます。

 これら《リズム》の問題は、日本の場合クラシック音楽であろうとJazz、ブラスバンドであろうと共通した傾向で、特にブラスバンドの演奏は見事に<平板な縦割りのリズム>で演奏するのが全国共通の傾向のようです。

 これは言語(日本語)の影響によるものと思われます。日本は狭い島国で、長い歴史を経て自己主張を抑えて皆んな仲良く生きる知恵を働かせてまいりました。「以心伝心」「心遣い」「空気を読む」等、「互いを感じ合う」ことで互いに円満な社会生活を送ることを身につけてまいりした。自分の意思を伝える時に<強い主張>(強いリズム)をしない言語(日本語)を使ってきたのです。

 欧米は多民族が入り混じって生活する環境。互いに考え方の基盤が異なるので、強く表現(強いリズム)しないと互いに伝わらないのです。しっかり伝えようとすると、リズムを強く添えて発言することが当たり前になってきます。

 この《リズム》の要素は、音楽の場合には非常に重要な意味合いを持っています。分かりやすく日本国内で例を引きますと、同じ意味合いの言葉を喋っても「京都人」と「(岸和田辺りの)大阪人」と「江戸っ子」では、異なる《リズム》《抑揚》《アクセント》を伴って喋ります。それぞれの気持ちを<生き生き>と表出するには、これら《リズム》《抑揚》《アクセント》の要素が不可欠、いやこれら《リズム》《抑揚》《アクセント》の要素こそが「気持ちそのもの」とも言えるでしょう。

 ですから音楽における《リズム》《抑揚》《アクセント》を、日本人の場合は特に注意を払って追求しなくてはならないと思います。作曲家の心その物を掘り下げて表出しようとすれば、ゆめゆめ忘れてはならない重要なポイントとなります。
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# by jmc_music2001jp | 2017-10-15 22:03
 秋晴れの晴天が続き、3日連続の<ノルディックウォーク>に出かけました。県民の森の遊歩道、今日はDコースから登り始めて、山中で交差するEコースを辿って幹線の遊歩道を歩き、「大野城歴史散歩道」を下りました。車も通れる道の出ると、坂を下ってスタート地点の駐車場まで。1時間10分の山歩きでした。

 森の中を歩いて気がついたのは、この時期『鳥』の声がしない・・・実に静かな木々の間を抜けながらの山歩き、遠くで高速道路を走るタイヤの音が聞こえていました(ノルディックウォーク・・ちょっとしたマイブームになりそう)。
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# by jmc_music2001jp | 2017-10-11 06:45

こいつァ!いいや!

 ここ一年以上になるけれど、健康維持の為に月一回鍼灸院に通って調整していただいている。そこの先生が先日ノルディックウォークのポールをプレゼントしてくれた。思いがけない事でビックリしたけれど、館内の移動に使っていた。特に階段の上り下りには足への負荷が軽減されて便利に感じていた。

 昨日今日の連休は秋晴れの晴天で、室内で籠っているのが勿体無い気がして、四王寺山にウォーキングに出かけることにした。昨日は山腹の駐車場から遊歩道の幹線となるコースを大きく回って、1時間のウォーキング。今日は体育館の駐車場からスタート、幹線を縦に上がるAコースから登り、幹線を通って、山を降りるEコースから下山した。これも所要時間1時間。

 ノルディックウォークでは、歩行の推進力・登る力・下りの体重を受け止める力それぞれがポールに分散されるので、歩行が非常に楽になる。平地で足踏みする以外の力は、そのほとんどがポールに移されるのではないだろうか。勿論ポールは上半身で操作されるので、歩くことが全身運動に変わる・・ここが素晴らしいところだ。

 理屈を考えてみれば当たり前のようであっても、「考えている」のと<ヤル>のでは大違いで、世界が全く異なる。昨今、誰でもが、分からないことがあると「スマホで検索」・・・となるが、これで<分かった気分>になってしまうのは非常に危険なことだと思う。これで<わかる>のは「氷山の一角」ですらないのではないか?氷山の映像を確認している程度の理解であって、その質感も表面の冷たさも、何一つ<実感>としては理解してはいない。

 ややもすると、仮想現実に包まれた生活にはまってしまいがちな現代生活。特に幼児や低学年の子供が、仮想現実に触れる時間が長いことは、危険極まり無いことだと思う。子供は<現実100%>の中だけで遊び・体験し・考えさせなくてはなりません。その意味で、現代は幼児教育の危機の時代と言えるだろう。
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# by jmc_music2001jp | 2017-10-09 16:29

PerformerとArtist

 BSでソプラノのリサイタルが放映された。シューベルト・バッハ=グノー・マスカーニの「アヴェ・マリア」を続けて歌う。聴いているだけで生理的な心地よさを感じる美声で、技術的にはほぼ満点、天賦の才能に恵まれたソプラノです。ただ残念なのは<マリアを賛美する歌>なのに『賛美の心』も『祈り』も全く聴こえてこなくて、只ただ美声のみ......。他にグノーの「宝石の歌」、技術的には素晴らしいのに・・・「気持ち」が込められていたならなァ......!

 昨今の演奏の傾向、いつからコウなったのだろう?・・最近、そんな演奏ばかりに出会う気がします。民放のBSで「日本の歌」というのがあって、30人くらいの混声合唱で唱歌などを歌っているのだけれど、コレが見事に『何も考えていない』と言う代物です・・<声を響かそう>とでも思っているのでしょうかねェ?・・・何を歌っても、皆同じ。意味も無い、ヤタラ強い響で・・・食感だけはイイのだけれど、<味>が全く無くて、何を食べているのか皆目分からない。

 前述のリサイタルでアンコールにプッチーニ「ラ・ボエーム」の<ムゼッタのワルツ>が歌われましたが、コレは素晴らしかった!最高音のBの響が少し割れたのが残念ではあったけれど、天から与えられた美貌と女性的魅力を振りまきながら歌うアリアは、その「何も考えていない」点までを含めて、正にムゼッタそのもの!本物のムゼッタが舞台に現れて歌っているかのようでした。

 せっかく音楽をやっているのだから、『願い』や『想い』『喜怒哀楽の感情』に目を向けて、もっともっと其れ等を外に出そうとするべきではないのでしょうか?これは勿論、歌だけに限るものではありませんが......。
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# by jmc_music2001jp | 2017-10-06 19:26