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by jmc_music2001jp

カテゴリ:芸術随想( 447 )

樹芸の森

 土曜日の福岡地方は小雨模様のお天気で、夕方に少し晴れ間が顔をのぞかせました。一帯の桜はもう満開、四王寺山の桜が見たくなって、車を走らせました。

 山は中腹あたりまで雲に覆われて、少し怪しげな様子です。いつもの《桜の森》辺りは大丈夫だろうと、山道を登ってゆきました。木の葉に溜まった雫が時折フロントガラスに落ちてくる程度で、雨は止んでいます。

 中腹の手前でUターンして車を止めました。外は静かで、雨に洗われた山の空気が胸の中を潤してくれます・・あゝ、本当に久しぶり。静かな幸せを感じます。

 少し下ると、山道の右側に駐車スペースがあって、そこは山に勉強に出かける時に一番利用する場所です。そのスペースは、すぐ上を覆うように咲いている桜の大木からの花びらで敷き詰められていました。

 いつも勉強に使う東屋までゆっくりと歩んでゆくと、穏やかな山の『気』が頭の中に染み込んでくるようで、本当に救われるような気持ちになります。

 さらに少し下った広場の脇に車を止めて、広場に流れ落ちる雪崩のような桜の姿をカメラに収め、山を降りました。
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by jmc_music2001jp | 2017-04-09 00:10 | 芸術随想
 元旦に見逃していたウィーンフィル・ニューイヤーコンサートを、深夜のBSで観ることができた。今年の指揮者はグスターヴォ・ドゥダベル、ベネズエラ出身で現在世界で最も注目される指揮者だ。彼の日本デヴューはベネズエラ国営の青少年オーケストラの日本公演。実に衝撃的な出来事で、<今年の最も衝撃的な事件>としてこのブログでも取り上げた。そのブログでドゥダベルの指揮者としての才能を絶賛したのだが、その後ベルリンフィル、ウィーンフィルでの成功で世界の注目を集めることになった。

 ところでこのニューイヤーコンサート、《ウィーンの薫り》を知らないドゥダベルの指揮で、ついに〝薫り〟は立ち昇らないままの演奏となったようだ。その意味でウィーンっ子を満足させる演奏会となったかどうかは別にして、ここはこの音楽に真っ向から取り組む才能溢れる若者にチャンスを与えた、ウィーンフィルの懐の深さを賞賛するべきだろう。

 恒例の「美しく青きドナウ」、初版は男声合唱用に作曲されていて「ウィーンの皆、楽しくやろうぜ!」と歌い始める。ソウ!<楽しくやろうぜ!>が「ウィーン気質」の最大の特徴である。メロディーの締めくくりに<ドン!>とやろうが<ダ・ダーン!>とやろうが、その気持ちの本質は<楽しくやろうぜ!!>なのだ。そこを理解していないまま<ドン!>とか<ダ・ダーン!>とかやるものだから、ウィーンには似合わない<コワモテ>の演奏になってしまう。

 その点、《ウィーンの薫り》とは無縁のO.ニコライの「ウィンザーの陽気な女房達」(月の出)では、混声合唱の素晴らしい響きを聴かせてくれたし、アンコールの「ラデツキー行進曲」では<楽しくやろうぜ!!>が完璧に実現していて素晴らしかった!ドゥダベル、おめでとう!

 ところで、ムジークフェラインの地下ホールの特設スタジオにウィーンフィルのコンサート・マスターを45年間勤められ、昨年8月に退任されたライナー・キュッヒルさんがゲスト出演。久々にお元気な姿を拝見できて、留学時代が蘇り、本当に懐かし想いに包まれた。私が留学した夏のザルツブルグで、音楽祭期間中の家を訪ねてバトミントンをして遊んだり、その後にウィーンに移ってからは、何度もウィーンフィルのリハーサルに入れて頂いて、沢山の貴重な体験をさせて頂いた恩人である。
<ザルツブルグの家で、奥様・お嬢様・私・キュッヒルさん>
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by jmc_music2001jp | 2017-01-09 12:21 | 芸術随想
音楽家を社会につなげる 日本クラシックのエントランス
<日本のクラシック音楽現状打破と新しい取り組みで心豊かな社会へ>

 西洋音楽の歴史は1400年。日本は明治維新で西洋音楽を導入してから僅か140年。今日、日本の音楽家の実力は世界レベルに達しているが、アート・マネジメントが十分に機能していないという問題が残る。音楽家と社会を繋げる仕組みを追求して35年、今取り組んでいるのがインターネットを活用したマネジメント・システムの構築だ。音楽家のネットワークを立ち上げ、ネットを介して社会と繋げることで新たな時代を築きたい。

 今日、クラシックはまだまだ日本人の心に浸透しているとは言えない。しかし最近、17世紀から三世紀の間、ヨーロッパ諸国の全ての階級の人々が、それぞれの家庭で室内楽を楽しんでいたと言う事実を発見した。アンサンブルほど<音楽の喜び>を与え<人の絆>を強くするものは無い。西洋に音楽が深く根付いた原因の一つがここにあると思う。

 国の調査によると、音大卒や吹奏楽経験者などの「楽器演奏者数」が全国に1,091万人、その大半の人が「演奏する場」が無く、「演奏の楽しみ」から離れている。ヨーロッパに300年間に渡って浸透した<室内楽を楽しむ環境>を、日本において復活させる潜在的なニーズとなりはしないか。

 SNSを立ち上げ、アンサンブルを呼びかけ、音楽の真の喜びの輪を全国に広めては行けないだろうか。インターネットには、昔には考えられもしなかった事を、世の中に実現させてしまう力がある。それは世界情勢や社会変革の様子を見ていても十分に感じ取れるだろう。
(《ヒットの予感2017》「プロフェッショナルに聞く」2017年1月7日ミスター・パートナー刊行)
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by jmc_music2001jp | 2017-01-02 01:29 | 芸術随想
 私の歌の生徒に84歳になるお婆さまがいらっしゃる。水曜日の昼にレッスンに来られるのだが、「先生、私もうダメ。最近本当にダメになっちゃった....」これが教室に入ってきての第一声、口癖になっている。これがレッスンとなると<シャキン>として、帰りにはすっかり元気になって帰られるのだ。

 私はこの方を教えていて「自分の歌唱指導は正しい」と確信を持てるようになってきた。発声練習に続いて歌曲の歌唱に入り、まず1回通して歌うのだが、当然何処かに何らかの問題がある。それを指摘した後の歌唱は「これこそが《歌》だ!」と断言できるほど素晴らしい歌を歌う。「人が想いを歌う」と言う面では、ある<完成形>なのではないか・・と、何時も思うのだ。

 先週は《赤とんぼ》を歌った。私はこのように話しを始めた「美空ひばりの”川の流れのように”と言う歌は、非常に難しい歌だと思う。子供の頃から天才少女と言われて、歌に映画にと常に日本のトップ・スターの名を欲しいまました彼女が、その最晩年に自分の来し方を振り返り<人生>を想う時、ただ山の上から平野を蛇行しながら遥か彼方へと流れ去る「川の流れ」を見ている、と言う<想い>に囚われる。言葉など何も出ては来ない....『ああ〜、川の流れのよぅ〜に〜』言葉は其れしか出て来ないのだ・・・その<言葉>にできない<想い>を歌に込めなくてはならない。これは非常に微妙で難しいことだと思う」。

 今、眼の前一杯に広がる真っ赤な夕焼けの風景を見ている自分、その<想いの原点>はどこにあるだろうか?姐やの背中におんぶされて見た、幼少期の記憶。いつも世話をしてくれた姐や、桑の実を摘んだ微かな覚え。15歳でお嫁に行った姐やの記憶は、今や顔さえも想い出せず、柔らかい首筋や肩の感触と、微かに甘酸っぱい香りの記憶.....。真っ赤な夕焼けの記憶は、(本人さえも気が付かなかった)姐やへの《淡い恋心》の奥へと繋がっている。この<想いの原点>と眼前に広がる真っ赤な夕焼けとの間に「世界」が「宇宙」が「今自分が生きているという存在」がある。それが《赤とんぼ》と言う『歌の姿』であると思う。

 そう説明をすると・・・次の歌唱では、見事に「その世界」がレッスン室の中に立ち現われた。これはすごい事だと思うし、やはり歌とはそのようなコトである・・と思うのだ。このような最終的な到達点の手前では、数多く技術的な課題を乗り越えていなくてはならない。しかし「この世界」が「歌」であると確信を持って言えることは、非常に非常に稀なことなのだ。
 

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by jmc_music2001jp | 2016-10-17 19:32 | 芸術随想
 私のコラムがBusiness Hit Chart 2016年度版(2016年9月7日/初版)に掲載されました。実はこのコラム、5月上旬に依頼を受けたのですが、締め切りの7月は欧州旅行のビデオ編集で余裕がなく、8月は研究所のホームページ制作に追われていて時間がなく、先延ばしをお願いしたのですが、企画の最初に決まっていてそれも叶わないとの事、編集長の提案で私のブログ《最新情報》から原稿を起こして、それに修正・加筆することで掲載する段取りとなったものです。
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【日本人がクラシック音楽を魂で受け止める
そんな時代に向けて情熱を注いでいます】

代表 大畑恵三さんは、クラシック音楽の普及に尽力。現在SNS「音楽仲間」「家庭音楽会」を立ち上げ、音楽愛好家、楽器演奏者が互に音楽を分かち合える環境作りを目指している。

《魂の自覚を促す、音楽教育への情熱》

 今、私たちの生活の中にはテレビ・ラジオ・演奏会を通じクラシック音楽が満ちている。しかし日本人はクラシック音楽を自らの血肉として魂でとらえていると言えるだろうか。舶来ものとしてありがたがっているだけの時代はもう終わりにしたい。

 西欧世界においてクラシック音楽は教会の中で産声をあげ1400年の成長の歴史を刻んできた。明治維新の「脱亜入欧」政策で西洋音楽を取り入れた日本は、未だ140年とその歴史は浅い。

「jmc音楽研究所」代表大畑恵三さんはいう。

「西欧は「キリスト教文化圏」であり、気候も「西岸海洋性気候」「地中海性気候」で、「仏教文化圏」「モンスーン気候」である日本とは異なります。そんな風土や文化の土壌の違いは、感性や人格形成の差異にもつながってくるでしょう。例えば私がウィーン留学中、ある日の指揮のクラスで教授がシューベルトの緩徐楽章についてこんな説明をしました。「この曲はウィーンの森で木々を見上げながら散策をしているのだ」と言って、手を顎にあてがって木々の梢を見上げながら歩く様子を見せてくれました。私も現地でその空気や様子を体感していたので「正に、その通り!そのものズバリ!」内心感嘆の声を上げ、ウィーンの雰囲気とシューベルトの音楽の完全な一致に驚いたものでした。音楽は音と心の間の共鳴関係で成立する芸術。シューベルトの音楽は私の中で、ウィーンの森の風景を呼び覚ましてくれたのです」

 シューベルトはこの曲をウィーンの森の雰囲気を描写する目的で作曲したのだろうか。だとするとウィーンの雰囲気を知らない日本人がシューベルトの音楽を聴く意味はあるのだろうか。

 「そうではありません。創造主が造り賜うた自然に対峙する「自分」という存在の不思議。シューベルトの目はそこに向けられています。それは「魂の目」を持って対峙しなくては、決して自覚できるものではありません」

 大畑さんは、日本人の可能性を示して次のように言う。
 「日本には、平安時代に「和魂漢才」で唐に学び、明治維新では「和魂洋才」で西欧文化を導入して見事に消化吸収、日本人の血肉と化した民族の力があります。きっと「魂の自覚」を求め促す芸術であるクラシック音楽の本質を受け止めてくれることでしょう」

 現在、大畑氏は、そのクラシック音楽への情熱をかけ、次の時代の到来に向けTom-net福岡(トーサイ・ミュージック・ネットワーク福岡)プロジェクトを推進している。
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by jmc_music2001jp | 2016-09-21 02:23 | 芸術随想
 私の小学生の頃、落語が好きでラジオを聞いては<腹がよじれる>ほど笑っていた。小学時代の落語は、よじれ返って苦しい横隔膜の痛みとともに想い出される。落語は好きだったが、漫才には全く関心が湧かなかった。

 大学で上京して、上野の鈴本演芸場に行ったことがあって、そこで初めて先代の林家三平の舞台を見た。袴姿の三平師匠は舞台上手方向に<正座スライディング>をしながら『どぉ〜も、すみませぇーン!』。鳥の巣頭に<招き猫>の拳を額にかざす例のポーズだ。会場の底から『ドッ!!』っと笑いが吹き上げる。そうすると今度は下手に向かって<正座スライディング>をしながら『どぉ〜も、すみませぇーン!』・・・それだけなのである、ソレしかしないのに客席の底から『ドッ!!』っと笑いが吹き上げて止まらない。これは漫才に近い<笑い>なのかもしれない。

 新宿の末廣亭でこんな体験もした。5人ほどの”お笑いバンド“のグループが、とにかく次から次へと休む間もなくギャグを連発して、客席は沸きに沸いた。漫才とはこう言うものか・・・漫才は生に触れないと面白さは分らないな・・と思った。その次の出番は先代の柳家小さん師匠。先ほどの漫才で湧き上がった空気は、会場全体に充満していた。小さん師匠は「困ったな....」と言った表情をして『ボソボソ』と小声で話し始めた。ものの3分も経っただろうか・・・わき返っていた会場の空気が『ボソボソ』と話す師匠の小声の中に吸収されて、会場は「シン...」と張り詰めた空気に一変する・・話芸の達人の技に感服させられた!

 我々人間は成長するにつれて常識を身につけて、円滑な社会生活を送るようになる。社会は良識(コモンセンス)を歓迎し積極的に評価する。より多くの人が幸せで快適な社会生活を送る為に有益だからだ。それはソレでいいのだけれど、何だか『腹の底から笑う』ような機会があってもイイのではないか....何しろ『笑い』は《心の健康》にとっても良いのだから・・・。

 そこで漫才は「コモンセンスの鎧」を身に纏って生活している我々に「ナンセンス」をぶっつけてくるのだ。その<ギャップ>が笑いの源泉となる。従ってコントや漫才師は観客に非常に積極的に働きかけアピールすることが求められる。これが漫才の特徴と言えるのではないだろうか。

 一方(古典)落語はどうだろうか?人情話にせよ長屋の「八つあん、熊さん」や「ご隠居さん」にせよ、落語では社会や人間の『あるある』が真実味をもって浮かびあがってくる。人間社会の『あるある』が落語の妙味であり、真実味を感じさせるのが話術の妙と言うものだろう。

 現代のクラシック音楽界でも、聴衆に積極的に働きかけアピールすることを重視する傾向が見られる。アピールするだけに<派手>で<目立つ>のだ。しかし、そもそもクラシック音楽とはそのようなものなのだろうか?クラシック音楽は『人間あるある』『心あるある』『魂あるある』の芸術であり、それに『共感』することこそが『クラシック音楽の醍醐味』なのではないだろうか。

 クラシック音楽がいかにして社会と繋がることができるのか・・・このテーマを追い求めて37年間を過ごしてきた。アピールすることに主眼を置いた音楽を普及するために、長年努力して来たのでは無い事だけは確かだ。(古典)落語のようなクラシック音楽を応援し、普及させて行きたいと願っている。
 

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by jmc_music2001jp | 2016-09-11 18:56 | 芸術随想

拍子抜け

 台風の季節を迎えて、全国に被害の報告が相次いでいます。被害を被られた地区の皆さまにお悔やみを申し上げますと共に、一日も早い復興をお祈りいたします。

 現在は台風13号が日本の太平洋岸を平行して進んでいるようですが、先日の台風10号は福岡を通過して日本海へと進みました。九州の西岸を上昇して、いよいよ明日は佐賀・福岡へ上陸との予報に、研究所前の鉢植えを全て屋内に避難させました。

 今年一月の大雪の折には、鉢植えを放置したせいでお花をダメにしてしまいました。特に20年近くも合計百ほどの花を咲かせてくれた<月下美人>を枯らしてしまったのです。<月下美人>には本当に申し訳ないことをいたしました。そんな経験もあって、玄関前と2階のテラスのプランターを全て避難させ台風に備えたのです。

 ところが前日の日曜日は「そよ風」程度しか吹きません。いよいよ上陸する月曜午前零時すぎ、すっかり準備を整えて就寝いたしましたが、翌朝目覚めてみると台風の「た」の字の気配もなく、すでに通過していました。テレビを点けると確かに福岡を通過して日本海にいます。

 私の住む地区は、東の四王寺・三郡の山並み、西の背振の山脈に挟まれていて、両山脈に阻まれて台風の風雨の害を少なくしてくれる場合がよくありましたが、今回もそのような理由からではなかったでしょうか・・・何だか拍子抜けしたような気分でしたが・・・。

 台風のシーズンはまだまだこれからです。読者の皆さまには十二分に気をつけられてお過ごしください。

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by jmc_music2001jp | 2016-09-08 01:08 | 芸術随想

追悼、中村紘子

 外は雨。台風の影響だろうか、夜になると涼しい風が吹いて、秋の気配が感じられる。今晩の「題名の無い音楽会」は、先日亡くなられた中村紘子さんの追悼番組だった。

 番組の最後はベートーベンのピアノ協奏曲「皇帝」1楽章。紡ぎ出される全ての『音』が、《中村紘子》という存在の『核』から発せられ、劇場の空間に明確な音像を結んでいた。中村紘子を直接的には知らない全ての人(聴衆もTVの視聴者も)が、音楽を接点として《中村紘子》という本質の『生きた証』を記憶に留めることになった。

 東京交響楽団もソリストの名演に答える素晴らしい出来であったと思う。日本もすでにこのような音楽家が存在する時代を迎えているのだ。戦後の桐朋学園の「子どもの為の音楽教室」が生んだ代表的な音楽家の一人が亡くなられた。

 日本の音楽界が次の新しい時代へと移行する....まだ見ぬ未来の、そんな予感さえする雨の夜...。

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by jmc_music2001jp | 2016-08-29 00:38 | 芸術随想
 “jmc欧州音楽の旅2016“のDVD-Vol4はザルツブルグの記録。完成したDVDを観て想った。1979年、私が初めてヨーロッパの地に立ったのがザルツブルグで、その時私の心に深く印象付けられた“ヨーロパそのものの印象”が、そっくりそのままDVDの画面に収録されていることに気がついた。

 日本に生まれ育ち、海外を全く知らなかった私が、初めて触れたヨーロッパ。ザルツブルグでの3週間は、当然のごとく全てが《初めて》の体験だった。教会と祈る人々、パイプオルガンの壮大な響き、鐘の音、緑の木立、囀る鳥の声、肌に触れる空気と木の葉のざわめき、メンフィスの丘の散策の果てにたどりついたノンベルク修道院、そして偶然に出会った“夕べの祈り”......。

 真っ白な“吸取り紙”が、その奥深くまで此れ等の体験を吸収していったように思う。それらは37年経過した今も、未だ生き生きと鮮やかに蘇ってくる。・・・これが「ヨーロッパ」なのか・・・こうして私の留学生活が始まった。

 「日本人クラシック音楽家の為のマネジメント」を確立させないと、日本はこの先へは進めない・・・これが留学で得た私の結論だった。1982年に帰国して『一から勉強』を始め、株)ジェイエムシー音楽研究所を創立したのが1989年(平成元年)。以後、研究や実験、ノウハウの集積を積み重ねてきた。2016年、今やっとこれからの時代を踏まえての処方箋に見極めが付き、7月からその取り組みを始めている。

 帰国以来、周りの人達から《ヨーロッパ》に連れて行って欲しい声が上がっていたが、平成元年に研究所を設立したのを区切りに検討を始め、第1回目を実施したのが平成5年であったと思う。プランの下敷きとなったのは、当然のごとく私が“心で感じたヨーロッパ”。文化や自然、芸術、味覚、感性の違いなど、私の心に強く焼き付けられた印象を、9日〜2週間の短い時間に体験を通じて感じ取ってもらう・・・その為に様々な要素を旅程に組み込んで実施してきた。

 今回、ザルツブルグのDVDを観て、37年前の印象がそのままに生き生きと再現されている事に気付いて、本当に新鮮な驚きを覚えた。しかし、これまでの経緯を振り返えってみれば、それも極ごく自然で当然の結果と言えるのかもしれない。
<ザルツブルグ、モーツアルトの故郷>
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by jmc_music2001jp | 2016-08-23 17:45 | 芸術随想
 今日のNHK朝ドラ「とと姉ちゃん」、次号の特集<小麦粉料理>《ホットケーキ》編集作業の最終チェック。経理担当の男性(料理は全く不得手)に、原稿を読み聞かせて《ホットケーキ》を作らせるテストを実施。その結果「言葉というのは、受け止める人によって大きく誤差が生じる」との認識に至り、より正しい理解を得るために作業過程を細かく「写真」で伝える方法を採用する。これは当時(70年前の終戦直後)では画期的手法で、雑誌「あなたの暮らし」は大当たりした。

 物事を不特定多数の人に正しく伝える難しさは今も変わらないだろう。我々が関係する音楽の分野では、未だに20世紀の書籍文化の領域を抜け出してはいない。一方、レコードが発明され、テープレコーダー・CD・ビデオ・DVDと新しいハードウェアの範囲内での新たな展開は見せたものの、それぞれのハードウェアの特性がそのまま制約を生んでいるのが実情で、もう一歩全てのメディアを統合化して新たな世界を切り開くことは出来ていない。

 2010年にAppleがiPadを発売したことで、世界中で電子書籍ブームが始まった。アメリカではすでに一般書籍の刊行数を電子書籍が超えてはいるが、日本ではまだまだこれからと言う状態だ。かつてのソニーの「β」とビクターの「VHS」のように、複数の会社が自社のハードウェアをスタンダードにしようと競っていて<三すくみ>状態に陥っているのだ。

 電子書籍が社会のスタンダードになるには、ハードウェアとソフトウェアの進歩と融合が不可欠である。マルチメディア技術が進歩して、それらをストレス無く操作できるハードウェアが生まれて初めて新しいメディアが誕生したと言えるだろう。そもそも書籍文化のイメージを土台にして、小説・漫画・新聞を『読む』という発想でハードウェアを開発しているようでは、飛躍は到底望めない。

 最近のニュースでインテルが「テレビに差し込むだけで家庭のテレビがパソコンに変身する」という商品を発売したが、これは大きなニュースだと思っている。家庭のテレビとパソコンが融合する時代が来れば、大きな地滑りのように社会構造に変化が起こる・・・と十数年前から睨んでいた。やっとそんな時代を迎えようとしているのではないだろうか?
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by jmc_music2001jp | 2016-08-06 01:42 | 芸術随想