クラシック音楽、jmc音楽教室、音楽企画制作、音楽普及活動、青少年健全育成、メールはkeizo@ohata.name宛


by jmc_music2001jp

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 今年に入って2回ほどfacebook関連のWebセミナーに参加しました。専門家の話を聴くことは本当に役に立ちます。ここ4日程をかけて“jmc音楽院”のfacebookページを作成いたしました。つい先ほどの完成です。

 ブログ読者の皆様、サイトをご訪問いただいて<いいね!>を下されば本当に嬉しく思います。今後更に準備を進めて<VierWeg書店>(電子書籍)と<音楽事業部>の活動を紹介するfacebookページを作成する予定です。

facebookに入り“Jmc音楽院”を検索(facebookではjが大文字(J)となっています。ご注意ください)していただくと見つかると思いますが、下記のURLを貼付けてからWebのリンクを開いていただいても見つかると思います。

[“Jmc音楽院”facebookページ]URL
https://www.facebook.com/Jmc%E9%9F%B3%E6%A5%BD%E9%99%A2%E9%9F%B3%E6%A5%BD%E6%95%99%E5%AE%A4-1029828973729507/?ref=aymt_homepage_panel
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by jmc_music2001jp | 2016-01-26 17:29 | 音楽企画制作

雪景色、サロンは延期

 平成28年1月24日(日)、北部九州は10年来経験したこともない程の雪、気温も氷点下2度と言うこれもココ10年以上体験したことが無いお天気です。電車は走ってはいますが、車の往来は非常に少なく、朝から細かい雪が降り続いています。

 今日は第109回の音楽サロンを計画、準備も万端調っていました。しかし午前10時(降り続く雪を見て)今から12時間後に、降り積もった雪の中にサロンのメンバーを帰すことは出来ないと判断、延期を決意いたしました。出演者との日程の調整を行い、2月28日(日)への延期が決定、参加予定者に電話を入れて延期を伝えました。

 一昨日(金曜日)に参加したWeb.セミナー。facebookの新たな情報を得て、jmc音楽研究所の<教室>と<電子書籍>、更には<音楽事業部>それぞれについて、新たにfacebookページを作成することにいたしました。現在は<jmc音楽院(音楽教室)>のサイト構成を決めて、画像資料などのピックアップ作業が進行中です。サロンが延期になったので、今日はWeb制作に集中いたしましょう。
<雪景色の研究所前>
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by jmc_music2001jp | 2016-01-24 14:55 | イベント情報
平成28年 1月24日(日)   PM6:30 開演
会場:ジェイエムシー音楽研究所 2F ホール

【音楽】
ソプラノ  永渕くにか  ピアノ 植村和彦

【新年会】
宝剣/純米吟醸  生酒(広島)
田酒/特別純米(青森) 
石鎚/ 純米吟醸 緑ラベル(愛媛)
作/純米吟醸 雅乃智(三重)

 新年は恒例の日本酒の例会です。私が主宰している<日本酒を味わい尽くす会>と言う会がございまして、これは高校の同級生の<酒と音楽>が好きな友人12名の集いですが、これまで10回程の例会を開催しております。この会で、毎回美味そうな酒を選んでは、燗付けの温度を5度刻みで変化させながら、味の変化を楽しんでおります。それ等の酒の中から、『これは美味いッ!!』と思った酒だけを、今回のサロンに集めました。

 肴も吟味して揃えます。2014年の“jmc欧州音楽の旅”でフランスを巡りました。巡った街の郷土料理と地元産のワインのマリアージュを楽しむことを「主眼」の一つに置いてプランを練った訳ですが、それぞれのマリアージュが『その場に倒れ込んでしまう』程に素晴らしく、忘れられない想い出となっています。それ以来、日本酒で『コレ』が出来ないか・・・と思い続けてまいりました。今回もチャレンジしますが、今後時間を掛けて追求してゆきたいと考えています。
<第109回jmc音楽サロンの案内ハガキ>
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by jmc_music2001jp | 2016-01-18 16:43 | イベント情報

Web講習会に参加

 15 日(金)は<ECカフェ福岡・天神>の勉強会に参加した。「中小企業基盤整備機構」の支援で開催された勉強会で、特にネットショップ開設・運営に関連する情報の提供を主旨としているものだ。ここ2〜3年、このような国が支援するセミナーの開催が多くなっている。アベノミックスに関連した現象だろうと推測される。

 昔の行政のやり方は随分これ等とは違っていた。助成や補助支援の予算は同じく存在していたのだが、役所から外部に向けて積極的に広報することは無かった。ある時、不思議に思ったので尋ねてみたところ<公平を期する>と言う答え、さらに「何故か?」と尋ねると<広報を見た人は申し込めるが、たまたま見なかった人は申し込めずに、そこに不公平が生じる>から・・・と言う答え・・・昔のお役所仕事はそんな風であったように思う。

 今は「地方創成」や「中小企業振興」に前向きに取り組んでいて、Web上で積極的な広報活動を展開している。関連のセミナーに参加すると、その後メールで様々なイヴェントやセミナーの案内が送られて来るのだ。良い事だと思う。

 様々な分野の異なる人が集まる場だから、“場違い”な空気を感じたりもするものだが、何度か交わっていると、他の分野での『仕組み』が見えてきて興味深い。これは一種の<カルチャー・ショック>効果だと言えるのではないだろうか。

 私の体験で・・日本に生まれ・育ち、ウィーンに留学して現地で生活すると、次第に《文化の違い》に気づいてくる。一見人間として同じような行動をとっているのだが、背景で働いている《行動原理》が全くと言っていい程違うのだ・・・これにより<カルチャー・ショック>を体験する。[自分と言う存在]が立っている基盤が、足下から崩れてゆく思い・・・「自分とは何だろう?」「自我とは?」「民族とは?」「文化とは?」「男と女とは?」「信念とは?」「決意とは?」??????

 そこから、より「客観的」で「柔軟」な、より深く真実を見極めようとする思考が始まるのではないだろうか?それぞれの世界にルールと法則が働いていて、それが《行動原理》となっている。それが見えてきたら『方法』と『答え』は見えてくるだろう。
<ECカフェ福岡・天神/中小企業基盤整備機構・九州本部にて>
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by jmc_music2001jp | 2016-01-17 02:10 | jmc支援事業
「音楽元年」音楽の夜明けを求めて・・・・   (4/4)
    (株)ジェイエムシー音楽研究所代表取締役社長 大畑惠三

 十年計画を立てた。先ず十年間の演奏活動の停止と「経営」の勉強...。こうして、音楽だけを考えてきた人間が、三十五歳にして音楽以外の多方面の勉強を始めたのである。初めの五年間はかなりの苦痛を感じながら勉強したことを白状する。音楽家とは変な生き物である。日頃感性だけで生きているので、それ以外の脳を使うことが自分の感性を損なうのではないかと言う強い不安感にとらわれる。「何でもやる!」を心に決めてから、やっと少しずつ世の中が見えてきた。そうなると不思議なもので、音楽が人間にとって自然で素直なものとして理解できるようにもなった。経営の実地は音楽教室を経営することで勉強する。元来「本物を育てたい」と始めたこの勉強には持ってこいのものであった。

 確実に育ちつつある子供達が八年間の勉強を支えてくれたのかも知れない。いや、それだけでは無い。理論物理学者のN氏は、八年間私の学ぶべき沢山の本を指し示してくれた。「全面的に協力する」と言ってくれる東京音大のN教授。「一緒にやりましょう」と帰国の度に連絡をくれる指揮者のM氏。彼はすでに東欧のオーケストラの重要なポストに就いている。そしてこの四月、九年振りに芸大助教授のW氏と会った。一日楽しく話し、酒を酌み交わした彼が手紙をくれた。

 「ハンガリーで二人で話し合ったことを、実際に実行していることに感心した・・・お互いの日本の音楽の為にがんばりましょう」。

 「日本の音楽の為に・・・」このような心を持ち続ける友人達に支えられてきたのだと思う。

 平成元年2月14日、株式会社ジェイエムシー音楽研究所、法人設立登記完了。平成元年11月本社屋落成。
<泉...次代への贈りもの....[星文社]平成元年9月10日初版発行>
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by jmc_music2001jp | 2016-01-13 15:50 | 芸術随想
「音楽元年」音楽の夜明けを求めて・・・・   (3/4)
    (株)ジェイエムシー音楽研究所代表取締役社長 大畑惠三

 数年間実社会で仕事をした後、欧州に留学したのが昭和五十四年(一九七九年)の事である。ウィーン留学中に西洋音楽の歴史の質と、音楽愛好家の層の厚さの差を知ることになる。むろん日本にその質もその厚さも無いことは言うまでもない。日本にあるのは真の音楽を追求したいと願う音楽家の情熱と世界レベルに達した技術力のみである。このような土壌の上に何の花を咲かせようとするのか。どうすれば花を咲かすことが出来るのか。これがウィーン留学末期の私の課題となった。

 音楽の世界ではユダヤ系の音楽家が優秀であるが、これは単に才能だけの問題ではない。才能ならば日本人も決して劣るものではない。ユダヤ人と日本人とに差があるとすれば、それは音楽家を支える組織力の差である。これが最終的に世界に通用する音楽家の数の差につながる。社会主義国においては、優秀な音楽家は国家によって支援される。なにも無いのは日本だけである。音楽家として手をこまねいて傍観しているわけにはいかない。「国家や企業がしてくれないのなら、自分の足で立とうではないか」・・・これが八年前、私の方針を決定した。

 なぜオーケストラは経営難を逃れられないのか、世界の経済大国になっても国立オペラ一つ持てず、オペラ座の運営体制の目処すら立っていないのか。それは、音楽家が音楽家の頭脳と感性のままで「経営」までをやってのけようとするところにある。音楽のプロでなければ、音楽を活かして育てるカンどころは分からない。経営のプロでなければ「金食い虫」のオペラやオーケストラを維持することすら難しい。双方を両立させる能力が求められる。
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by jmc_music2001jp | 2016-01-13 15:48 | 芸術随想
「音楽元年」音楽の夜明けを求めて・・・・   (2/4)
    (株)ジェイエムシー音楽研究所代表取締役社長 大畑惠三

 この七年前に小澤征爾がブザンソン指揮者コンクールに優勝。驚きと同時に将来への希望を与えてくれたニュースだった。そして又、高度成長期のピアノ・ブームがこの時代に続く。これ以後、日本が豊かになるにつれ、留学生も爆発的に増加した。海外コンクール入賞も増え、今日では取り立てて新聞沙汰にもならぬほど日常的な出来事となっている。

 しかし一方、私が大学に入学する二年前、経営難を理由に東京交響楽団の事務局長が入水自殺。以後、同楽団は楽員の自主運営団体として活動を続ける。六年後にはフジテレビが日本フィルハーモニーに対する経済的支援を打ち切り、楽団は分裂、日本フィルと新日フィルに分かれてそれぞれ自主運営が始まる。ちなみに東響はその前身を東宝交響楽団と言い、往事最高のオーケストラ(私の伯父、故大畑保も首席フルート奏者として活躍)だったし、日フィルも当時最高の楽団であったのだ。私の大学時代は、音楽が盛んになる一方でこのようなオーケストラ受難の時代を目の当たりに見ることになる。以後「なぜだろう?」・・・と言う思いが頭から離れなかった。
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by jmc_music2001jp | 2016-01-13 15:46 | 芸術随想
「音楽元年」 音楽の夜明けを求めて・・・・         (1/4)
   (株)ジェイエムシー音楽研究所代表取締役社長 大畑惠三

 日本は欧米の技術を導入し、改良を加えることにより、安くしかも優秀な製品を輸出してきた。しかし一九八七年以後の円高及び東南アジア諸国の追い上げを期に、日本の産業界にも変化が現れはじめる。基礎研究の重要性が唱えられ、以後急速にその方面の充実がみられるようになった。以前には考えられない現象である。基礎研究は欧米にまかせ、その結果出来上がった製品の真似をして、さらに改良を重ねるというのが日本の方法だったのである。

 平成元年。時代は正に変わりつつある。二十一世紀を目前に、日本人に真の独創性、創造性が求められる時代になった。バッハ、モーツアルト、ベートーベンに続く大作曲家。文豪、詩人、哲学者....十八・十九世紀の西欧文明は人類に不滅の遺産を残した。二十世紀はアメリカの時代。アメリカ文化の底力に匹敵する二十一世紀の日本文化は果たして誕生するのだろうか。

 私が桐朋学園音楽科に入学したのが昭和四十一年(一九六六年)、東京オリンピックを成功のうちに終え、大阪万国博覧会を数年後に迎えようとする時期だった。音楽の留学生は非常に少なく、海外の音楽情報も十分に入ってこない時代。欧米の楽壇は遥か高みに感じられ、教師から生徒に至るまで咽から手がでる思いで本場の演奏技術を求めたものだ。それは、どこか産業界の様子とも似ている。
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by jmc_music2001jp | 2016-01-13 15:41 | 芸術随想

日本水泳連盟

 11日は<成人の日>、BSで日本水泳連盟の歴史が放映された。<水泳ニッポン>が先の東京オリンピックでアメリカに惨敗、「メダル無し」の苦境から建て直そうとする苦闘の歴史だった。全編を見たわけでは無いから、当然の見落としもあろうかと思うけれど、私が一番印象に残ったのは、その時代アメリカが運用していた選手育成システムが存在していたと言うこと。一方の日本は<各個人がコーチの助けを得ながら、個人的な努力を重ねる>と言うものであった。

 全国的な育成システムの運用ができていたアメリカは、十代の若者が育ちメダルを独占。一方、個々人の努力に委ねるしか方法がなかった日本選手は、全員が二十代だった。そのどん底の結果から這い上がろうとする努力・・・全国的にスイミング・クラブを立ち上げ、アメリカに少しでも近づこうとの努力が始まる。

 これを<身につまされる>思いで見ていた。と言うのも、そもそも35年間「日本人クラシック音楽家の為のマネジメント・システム」の構築を追求しつづけている原因も、ウィーン留学中に<日本音楽界のマネジメントの欠落>に気づいたことに起因している。

 当時から、日本人の音楽家は才能があり、大いに将来が嘱望される・・・との信念を抱いた一方で、彼らが《全てを自分一人でやるしか方法が無い》ことに、大きな問題があるいとの結論を得たことだ。西洋の若手音楽家は、ぶきっちょでコツコツとやるしか方法が無いようだが、最初は下手でも周囲(社会の仕組み)の育成の為の様々なシステムに支えられて努力するうちに、本当に上手くなってゆく。

 一方で器用で優秀な日本人音楽家は、初めは頭角を現す存在であっても、「誰の助けも無く」「唯一人だけの努力」でやって行かなくてはならない環境に置かれる内に、《失速》してしまうのだ。当然といえば、当然の結果だと言えよう。だからこそ<日本人クラシック音楽家の為のマネジメント・システム>の確立が不可欠と考えて、挑戦することを決意したのだ。・・・勿論、そんな事が生易しいハズもない。だから35年も取り組み続けて現在に至っている。

 この辺の経緯は、平成元年のジェイエムシー音楽研究所創設の折に、『泉』(次代への贈りもの)[星文社]に掲載された文章があるので、明日はその文章をブログに掲載することにしよう。
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by jmc_music2001jp | 2016-01-13 01:46 | jmc支援事業
 昨日の民放BSでは長時間に渡って《テレサ・テン》の特集(没後20年らしい)が放映されていた。仕事や用事の合間に何度かジックリと彼女の歌に向き合う時間が持てた。歌が上手な女性だと言う認識は以前から持ってはいたが、真正面から彼女の歌と向き合ったのはこれが初めてだった。

 彼女は『天才』。生まれながらの<天性の歌手>だと思う。人間という生物を設計した創造主の意図に沿って、特に「心」と「歌」との間で、相互を寸分の狂いもなく機能させることが出来る歌手であったと思う。一般には「心」と「歌唱」との何処かに隙間や狂いがあったりするものだが、それが創造主の意思にそって完璧に機能している。

 番組の中で、中年の女性が(多くの人が彼女の歌を聴いて)「自分にも人間らしい心が存在する」ことに気づかされた・・・それが熱狂的な《テレサ・テン》ファンを生んだ最大の理由である・・・と言った意味の事を話していた。

 テレサ・テンの歌は『想いやる心』、それは『愛』と言う言葉に置き換えても良いだろう。『想いやる心』から発せられた《歌》は、《音楽》を通じて聴く人の心に共鳴し『想いやる心』を自覚させる。それが人間にとってどれほど大切なものか、この己の心の中に発見した大切な『愛』が、沁み入るように感じ取れるのである。こうして《テレサ・テン》の熱狂的なファンが誕生する。

 一方、我々が関与しているクラシック音楽の場合はどうだろうか?『何』が愛好家への働きかけとなり、熱狂的なクラシック・ファンを誕生させる《要因》となるのだろう?
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by jmc_music2001jp | 2016-01-11 21:47