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by jmc_music2001jp

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 NHK/BSで小澤征爾さんの80歳を祝うコンサートの様子が放映された。会場はこれまで斎藤記念オーケストラの公演が行われた松本。小澤征爾さんの誕生からこれまでを振り返る番組で、世界中から中継で<お祝いメッセージ>も届けられた。

 一番心に残ったのは、小澤さんが日本とスイスで開講している弦楽四重奏のクラス生による演奏。チャイコフスキーの「アンダンテ・カンタービレ」、メンデルスゾーンの弦楽合奏。この演奏の質に小澤征爾さんの教育活動の成果と『本質』が感じられた。

 小澤さんは恩師斎藤秀雄の教えに心底共鳴して<弦楽四重奏>を学ぶ重要性を伝えようとしていた。その成果が、見事に『音』の姿をとって立ち現れる。本当に久々に<音楽の本質>をついた<本物>の音楽を聴いた。今日、このような音楽が実際に存在したこと事体、大事件でもあるし、一方で心の底からの安堵も覚える。

 近年、心の底から発せられる<魂の音楽>に出会うことが、トンと無くなっていた。ウィーンに留学していた頃は、ザルツブルグ音楽祭でのベーム(ベートーベン第7交響曲)、バーンスタイン(プロコフィエフ第3交響曲)、ヴェーグ(モーツアルト嬉遊曲)、ウィーン国立歌劇場でのベーム(モーツアルト歌劇コシ・ファン・トゥッテ)、チェリビダッケ(ミュンヘン・フィルハーモニー)・・・数え切れないほどの生演奏と出会うことが出来ていた。

 しかし今晩のBSで、今日にもこのような『生きた音楽』が存在して、それを伝えよう・育てようとしている人が居る・・と言うことが確認でき、心からの大きな喜びと同時に大きな安堵感を覚えることができたのだ。

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by jmc_music2001jp | 2016-09-26 01:22 | jmc支援事業
 私のコラムがBusiness Hit Chart 2016年度版(2016年9月7日/初版)に掲載されました。実はこのコラム、5月上旬に依頼を受けたのですが、締め切りの7月は欧州旅行のビデオ編集で余裕がなく、8月は研究所のホームページ制作に追われていて時間がなく、先延ばしをお願いしたのですが、企画の最初に決まっていてそれも叶わないとの事、編集長の提案で私のブログ《最新情報》から原稿を起こして、それに修正・加筆することで掲載する段取りとなったものです。
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【日本人がクラシック音楽を魂で受け止める
そんな時代に向けて情熱を注いでいます】

代表 大畑恵三さんは、クラシック音楽の普及に尽力。現在SNS「音楽仲間」「家庭音楽会」を立ち上げ、音楽愛好家、楽器演奏者が互に音楽を分かち合える環境作りを目指している。

《魂の自覚を促す、音楽教育への情熱》

 今、私たちの生活の中にはテレビ・ラジオ・演奏会を通じクラシック音楽が満ちている。しかし日本人はクラシック音楽を自らの血肉として魂でとらえていると言えるだろうか。舶来ものとしてありがたがっているだけの時代はもう終わりにしたい。

 西欧世界においてクラシック音楽は教会の中で産声をあげ1400年の成長の歴史を刻んできた。明治維新の「脱亜入欧」政策で西洋音楽を取り入れた日本は、未だ140年とその歴史は浅い。

「jmc音楽研究所」代表大畑恵三さんはいう。

「西欧は「キリスト教文化圏」であり、気候も「西岸海洋性気候」「地中海性気候」で、「仏教文化圏」「モンスーン気候」である日本とは異なります。そんな風土や文化の土壌の違いは、感性や人格形成の差異にもつながってくるでしょう。例えば私がウィーン留学中、ある日の指揮のクラスで教授がシューベルトの緩徐楽章についてこんな説明をしました。「この曲はウィーンの森で木々を見上げながら散策をしているのだ」と言って、手を顎にあてがって木々の梢を見上げながら歩く様子を見せてくれました。私も現地でその空気や様子を体感していたので「正に、その通り!そのものズバリ!」内心感嘆の声を上げ、ウィーンの雰囲気とシューベルトの音楽の完全な一致に驚いたものでした。音楽は音と心の間の共鳴関係で成立する芸術。シューベルトの音楽は私の中で、ウィーンの森の風景を呼び覚ましてくれたのです」

 シューベルトはこの曲をウィーンの森の雰囲気を描写する目的で作曲したのだろうか。だとするとウィーンの雰囲気を知らない日本人がシューベルトの音楽を聴く意味はあるのだろうか。

 「そうではありません。創造主が造り賜うた自然に対峙する「自分」という存在の不思議。シューベルトの目はそこに向けられています。それは「魂の目」を持って対峙しなくては、決して自覚できるものではありません」

 大畑さんは、日本人の可能性を示して次のように言う。
 「日本には、平安時代に「和魂漢才」で唐に学び、明治維新では「和魂洋才」で西欧文化を導入して見事に消化吸収、日本人の血肉と化した民族の力があります。きっと「魂の自覚」を求め促す芸術であるクラシック音楽の本質を受け止めてくれることでしょう」

 現在、大畑氏は、そのクラシック音楽への情熱をかけ、次の時代の到来に向けTom-net福岡(トーサイ・ミュージック・ネットワーク福岡)プロジェクトを推進している。
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by jmc_music2001jp | 2016-09-21 02:23 | 芸術随想
 9月15日(木)日本酒が美味しくなる季節を待ち兼ねたように、第15回“日本酒を味わい尽くす会”が開催されました。いつものように福岡高等学校第17回卒業生に4年後輩の女性1名が特別参加、総勢9名で二升の日本酒を頂きました。

 今回の酒は今年度(2016年)SAKE COMPETITIONの純米吟醸と純米酒部門でそれぞれ第1位を獲得した酒。日本酒だけのCOMPETITIONで、416蔵・1483点が出品された出品酒数世界最多のコンクールです。『勝山/純米吟醸“献”』(茨城)と『“あたごのまつ”特別純米』(茨城)の2本。今回は《冷》《室温・常温》《35度》の三段階を試すことにいたしました。

 まずは《冷》で『“あたごのまつ”特別純米』(温度:15度)、フルーティーで柔らかく落ち着いた風味が美味!それを25度に燗付けすると、一口飲んだ皆んなから歓声が上がります「変わった!」。さらに35度に温度を上げると、一斉に「コレだネッ1」、口の中で<酒の花>がパッと咲き広がります。残る4合を35度のお燗で楽しみました。

 次の『勝山/純米吟醸“献”』の<冷>は、同じくフルーティーで柔らかく落ち着いた風味ですが、一層味に深みが感じられる良い酒でした。25度・35度とお燗の温度を上げて行きますと、同じ茨城県産と言うことでしょうか、非常に傾向が似ていて『勝山/純米吟醸“献”』では味わいが一層深まる・・・と言った印象でした。いずれも穏やかですが本当に良い酒です。しっとりと満足させられる日本酒でした。

 美味い酒と肴で大いに満足させられると、すっかり腰が落ち着いてしまいます。帰ろうとする者は誰もなく、ついにお店の一升瓶を抱えてきた者がいて、皆んなでその酒まで飲み始める始末。いつまでも“お開き”の雰囲気にならないので、ついに「それでは皆さん!この辺でお開きといたしましょう!」と声を掛けました。美味しい酒は人を幸せにします。
<最初の乾杯!/本日の日本酒『“あたごのまつ”特別純米』『勝山/純米吟醸“献”』>
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by jmc_music2001jp | 2016-09-17 00:14 | jmc支援事業
 私の小学生の頃、落語が好きでラジオを聞いては<腹がよじれる>ほど笑っていた。小学時代の落語は、よじれ返って苦しい横隔膜の痛みとともに想い出される。落語は好きだったが、漫才には全く関心が湧かなかった。

 大学で上京して、上野の鈴本演芸場に行ったことがあって、そこで初めて先代の林家三平の舞台を見た。袴姿の三平師匠は舞台上手方向に<正座スライディング>をしながら『どぉ〜も、すみませぇーン!』。鳥の巣頭に<招き猫>の拳を額にかざす例のポーズだ。会場の底から『ドッ!!』っと笑いが吹き上げる。そうすると今度は下手に向かって<正座スライディング>をしながら『どぉ〜も、すみませぇーン!』・・・それだけなのである、ソレしかしないのに客席の底から『ドッ!!』っと笑いが吹き上げて止まらない。これは漫才に近い<笑い>なのかもしれない。

 新宿の末廣亭でこんな体験もした。5人ほどの”お笑いバンド“のグループが、とにかく次から次へと休む間もなくギャグを連発して、客席は沸きに沸いた。漫才とはこう言うものか・・・漫才は生に触れないと面白さは分らないな・・と思った。その次の出番は先代の柳家小さん師匠。先ほどの漫才で湧き上がった空気は、会場全体に充満していた。小さん師匠は「困ったな....」と言った表情をして『ボソボソ』と小声で話し始めた。ものの3分も経っただろうか・・・わき返っていた会場の空気が『ボソボソ』と話す師匠の小声の中に吸収されて、会場は「シン...」と張り詰めた空気に一変する・・話芸の達人の技に感服させられた!

 我々人間は成長するにつれて常識を身につけて、円滑な社会生活を送るようになる。社会は良識(コモンセンス)を歓迎し積極的に評価する。より多くの人が幸せで快適な社会生活を送る為に有益だからだ。それはソレでいいのだけれど、何だか『腹の底から笑う』ような機会があってもイイのではないか....何しろ『笑い』は《心の健康》にとっても良いのだから・・・。

 そこで漫才は「コモンセンスの鎧」を身に纏って生活している我々に「ナンセンス」をぶっつけてくるのだ。その<ギャップ>が笑いの源泉となる。従ってコントや漫才師は観客に非常に積極的に働きかけアピールすることが求められる。これが漫才の特徴と言えるのではないだろうか。

 一方(古典)落語はどうだろうか?人情話にせよ長屋の「八つあん、熊さん」や「ご隠居さん」にせよ、落語では社会や人間の『あるある』が真実味をもって浮かびあがってくる。人間社会の『あるある』が落語の妙味であり、真実味を感じさせるのが話術の妙と言うものだろう。

 現代のクラシック音楽界でも、聴衆に積極的に働きかけアピールすることを重視する傾向が見られる。アピールするだけに<派手>で<目立つ>のだ。しかし、そもそもクラシック音楽とはそのようなものなのだろうか?クラシック音楽は『人間あるある』『心あるある』『魂あるある』の芸術であり、それに『共感』することこそが『クラシック音楽の醍醐味』なのではないだろうか。

 クラシック音楽がいかにして社会と繋がることができるのか・・・このテーマを追い求めて37年間を過ごしてきた。アピールすることに主眼を置いた音楽を普及するために、長年努力して来たのでは無い事だけは確かだ。(古典)落語のようなクラシック音楽を応援し、普及させて行きたいと願っている。
 

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by jmc_music2001jp | 2016-09-11 18:56 | 芸術随想

拍子抜け

 台風の季節を迎えて、全国に被害の報告が相次いでいます。被害を被られた地区の皆さまにお悔やみを申し上げますと共に、一日も早い復興をお祈りいたします。

 現在は台風13号が日本の太平洋岸を平行して進んでいるようですが、先日の台風10号は福岡を通過して日本海へと進みました。九州の西岸を上昇して、いよいよ明日は佐賀・福岡へ上陸との予報に、研究所前の鉢植えを全て屋内に避難させました。

 今年一月の大雪の折には、鉢植えを放置したせいでお花をダメにしてしまいました。特に20年近くも合計百ほどの花を咲かせてくれた<月下美人>を枯らしてしまったのです。<月下美人>には本当に申し訳ないことをいたしました。そんな経験もあって、玄関前と2階のテラスのプランターを全て避難させ台風に備えたのです。

 ところが前日の日曜日は「そよ風」程度しか吹きません。いよいよ上陸する月曜午前零時すぎ、すっかり準備を整えて就寝いたしましたが、翌朝目覚めてみると台風の「た」の字の気配もなく、すでに通過していました。テレビを点けると確かに福岡を通過して日本海にいます。

 私の住む地区は、東の四王寺・三郡の山並み、西の背振の山脈に挟まれていて、両山脈に阻まれて台風の風雨の害を少なくしてくれる場合がよくありましたが、今回もそのような理由からではなかったでしょうか・・・何だか拍子抜けしたような気分でしたが・・・。

 台風のシーズンはまだまだこれからです。読者の皆さまには十二分に気をつけられてお過ごしください。

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by jmc_music2001jp | 2016-09-08 01:08 | 芸術随想