ヨーロッパのオペラ事情?
2010年 03月 07日
舞台美術と衣装・演出が本題のワーグナーの音楽と本質的に無関係・・・どこにも接点が無いのである。それでも音楽は進んでゆく.........。実はここ十数年、欧州の歌劇場の美術・衣装・演出には一つの傾向があった。現代の普段着を衣装に採用して、舞台装置も今風で実に金がかかってないものとなっている。舞台芸術を“非日常”の空間を生み出す場として捉えるのではなく、極めて“日常”の、そんじょそこらに在る、珍しくも何ともないものとして表現しようと試みる(ナゼかは、『謎』???)。背広だったり、ジーパンだったり.....今日の準主役は皮ジャンだった........。
十数年前のザルツブルグ音楽祭には、すでにその傾向が現れていた。第3回目になる<jmc欧州音楽の旅>だったが、モーツアルトの「フィガロの結婚」で、登場人物はジャケットや普段着で現れ、フィガロはジーパンだった。1・2・3回と滞在型で参加した音楽祭であったが、それ以降ザルツブルグで半日過ごすことはあっても、音楽会に行くことは決してない。
ザルツブルグ音楽祭はカラヤンが死んで、運営主体がザルツブルグ市に移行してから、明らかにこのような傾向となってしまった。ドイツの歌劇場も安上がりの舞台を目指すがごとき傾向を見せていたが、あのバイロイト音楽祭までが「安上がりの舞台」で満足するような事態になろうとは・・・・!
なぜなのか、十分な判断を下せるだけの情報が今手元には無い。しかし、結論はその無惨なオペラ公演が如実に物語っている。歌も上手くは無い。あの誇り高い『ドイツ音楽の魂』はどこに行ったのか....。「マイスタージンガー」自体がその事をテーマに取り上げているだけに、何とも無惨な話である。
ここだけには、かろうじて『ドイツ音楽の魂』が残されていると思って(願って?)6月のドイツの旅程に組み込んだドレスデン国立歌劇場。演目の「ドン・ジョバンニ」に、不安の影が忍びよる。いったいどうしてこう言う事になったのか?メトロポリタンの成功例とバイロイトを始めとするドイツの歌劇場の失敗例を分ける原因は何なのか?ここを明らかにすれば、アートマネジメントの秘訣が浮かび上がってくるかもしれない。
ウィーン国立歌劇場は手堅く伝統を守りきれていると思う。又、スイスのチューリッヒ歌劇場の舞台は、新しい試みの成功例として特筆されるべきだろう。美しい舞台装置や衣装、賞賛に値する芸術的照明などである。