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by jmc_music2001jp

《アイーダ》“メトロポリタン歌劇場”

 昨晩に続いて今日はベルディの《アイーダ》が放映されている。舞台装置と衣装は立派なものだが、今日はチョット違う・・・音楽になっていないのだ。

 演奏旅行などをしていると、名演奏が行われた翌日の公演で、どんなに真剣に取り組もうとしても、どうしても歯車がかみ合わず空転してしまう場合がある。生演奏にはそのような事がついてまわり「今日の演奏もその一つかな?」・・っと思っていたが、どうも違うらしい。

 コーラスがズレまくり、オーケストラのアンサンブルも締まりが無い・・・「これは指揮者が悪いな」っと思ったら、案の定であった。3幕の始めに指揮者が映しだされた・・・ひどいものだ、指揮法もなにもあったものではない。演奏に指示をあたえる<予備運動>があるわけでなし、音楽の流れを運んでゆくわけでもなし。団員は自分でシッカリ数を数えて、間違いなく出てくる。団員相互のアンサンブルで破綻を起こさないように、団員各自が責任を果たそうとする。

 指揮者はソレを聞きながら「あ々、そうですか・・」とうなずいているだけの事、歌手が歌っても「あ々、そうですか・・」・・・指揮をするでもシナイでもない中途半端な動きをするばかり。オーケストラの団員は一流の能力を持っていて、自分らの力でアンサンブルの破綻を避けることぐらいはできる。ソリストも実力者ぞろいだから、ちゃんと歌う。しかし舞台上に広がったコーラスは、明快な指揮棒がないと、どうしても思い切って歌えない・・・破綻が起こるのだ。

 もちろんこのような指揮では、「力」のベクトルをオペラ全体の一つの大きなテーマに向けて集約させて行くことは出来ない。それぞれのベクトルが、亡霊のように迷い漂うばかりである。
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by jmc_music2001jp | 2010-11-24 02:28 | 芸術随想