『日本の美意識』《引き算の美学》
2011年 01月 25日
元が中国に攻め入ったことが原因で、禅宗の僧が日本に逃れ、彼らの渡来で禅が日本に伝来したと言う。当時の鎌倉では、中国語が通じる程であったとか・・・その中国文化の「禅」を、「日本の禅」に翻訳しようとしたのが、京都天龍寺の夢窓国師だと言う・・・そこから「禅」を根底に敷く『日本の美意識』の萌芽が始まった。
『日本の美意識』=《引き算の美学》、その極まったものが竜安寺の石庭だと言う・・・・それ等一つひとつの例が、スンナリと腑に落ちてくる。<枯れ山水><能楽><見立て>・・・「日本の美意識」は<引き算>で省いたものを、鑑賞者の想像力で満たすことにより、その『宇宙』を完結させる。
省いたものを満たすだけの想像力を培うには、鑑賞する側にそれ相応の教養がなくてはならないのだが、実はそれだけでは無い・・・と思っている。「想像する力」「思いやれる心」・・・此れ等の能力は、幼児期の育児体験にその源を発していると、私は思っている(これは、ほとんど「確信」と言える程の、強い想いだ)。
江戸時代に渡来した宣教師が、母国への報告に書いている・・・「これ程、子どもを大切にする民族を、未だかつて見たことがない」・・・江戸時代に突然こうなったのでは無いことは言うまでもない。これが日本の伝統なのだ、お母さんが大切に子どもを育む伝統が、脈々と受け継がれてきたのだ。こうして育まれた子どもは、「愛を感じる心」「相手を感じる心」「相手を思いやれる心」、ひいては「豊かな想像力」「美を愛する心」が育まれているのだ。
『日本の美意識』の奥底には、母とのスキンシップを源流として、豊かな『情緒』が育まれて来た記憶が流れている。その『情緒』が<引き算>で省かれたものを導き出し、『日本の美意識』となって満たすのではないか。世界に誇れる『日本の美』は、日本人の豊かな情緒性なくしては現れなかった。
かつて、日本人が優秀な民族であれた原因は、一重に『子育て』によるものだった、と信じて疑わない。しかし、今日の日本は・・・いったい、どうだろうか?