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by jmc_music2001jp

古典四重奏団

 NHK-BS“アマデウス”と言う番組で<古典四重奏団>と言う弦楽四重奏団の演奏を聴いた。若手の日本人奏者により結成された団体、ノンビブラート奏法で演奏され、和音の響きの美しい弦楽四重奏であることが特筆される。

 演奏されたのはシューベルトの弦楽四重奏曲「死と乙女」。彼らの紡ぎ出す音楽に耳を奪われた。現代の世界の傾向と言ってもいい(日頃我々の耳に入ってくる)演奏とは、音楽へのアプローチがまるで異なっている。前述のように、ビブラート無しで演奏することによって純正調のハーモニーを純粋に追求することが可能となった。そもそも弦楽器のビブラートとは、音程の細かな上下でもあるからして、四人の奏者が各自音程を細かく上下させながら演奏するならば、純正調の和音の美しさが得られるハズもない。<音の場>は半ば意味不明なヤル気だけが交差する、旋律の交通ラッシュとなる。丁度他人を押しのけるように通る狭い路地のような.....。

 さらにこの団体を特徴付けるのは『音楽』へのアプローチであろう。通常の場合、音楽には<楽譜>があって、奏者はソノ楽譜を練習する。勿論、曲中の一部分には演奏上で技術的に難しい箇所もある。そこで奏者はその部分を丁寧に時間をかけて練習し、技術的な困難を克服しようとする・・・そうこうしている内に、往々にして(無意識下で)意識が<音符>を目標としてセットしてしまう事になる・・・「間違わないように」「粒をそろえて」「音の繋がりを滑らかに」・・・・等々。

 このようにして日常我々の耳に入る音楽は、目標が<音符>に設定された演奏となっている。しかしこの団体は違っていた。和音の響きの中に立ち現れるもの、旋律の彼方に姿を現す物に意識の焦点を合わせようとしていた。目をこらして見るように、耳をこらして捕らえようとするもの、心をこらして感じ取ろうとするもの・・・彼らはソレを目標に集った人間なのだ。<音符>が目標でないだけに、小さな音符のミスが発生しても、ソレが(聴いている我々にとっては)気にはならない。それよりも、今ソコに立ち現れたものに心の焦点が結ばれる。

 こうした人材が現に現れていることが、日本人の演奏家が将来世界の西洋音楽界において非常に重要な地位を占めるであろう事への証左であると考える。私には、そのような予兆を他にも沢山感じ取ることができるのだ。
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by jmc_music2001jp | 2011-05-08 02:42 | 芸術随想