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by jmc_music2001jp

“金継ぎ”と言う過ごし方

 2〜3日、大事にしていた陶器の“金継ぎ”に没頭していた。先月結婚した長男が大学院生として同居していた時期、何か家事の一部でも手伝わせるべきだろうと考えて、夕食後の食器洗いを役目として与えた。気持ちよくやってくれたのは良いのだが、随分と皿や湯飲み、茶碗が欠けることとなった。それも大事にしている陶器だったから「これも教育の為の支出か・・・ウウッッ...」っと、涙を飲んだものだった。

 私の40年来の親友に山本源太と言う陶芸家が居る。九州のお茶処<八女>の奥に“星の村”と言う玉露の産地として有名な村があり、そこで「星野焼き」を復興させ陶工として名を成している。しょっちゅう遊びに行っていて、その度に一つ・二つと買って帰るので、我が家には源太が沢山あった。使ってこそ器だと思っていたので、ご飯から総菜、お茶やコーヒーまで、日頃から源太を楽しんでいた。

 それが或る時期から欠け始めた、理由は前述の通り.....内心ひどくガッカリして、何時のときか“金継ぎ”をしてあげようと心に誓っていた。もう永年そんな思いを抱いていたので、先日<金箔>を入手した折『やるゾ...』と決めていた。

 2〜3年に一度、専門外の事に没頭する。情報を集めたり、ゼロから段取りを考えたりしながら集中的に作業を行うのだが、これが又気分転換というか頭の切り替えに役立っているように思える。専門で無い事柄に想像を巡らせ、情報を集めて、仮説を立て、類推し・・・それでも多少の試行錯誤は避けられない。しかし、そうして終了すると、新しい自分の世界を獲得したような気分になって(かなり)壮快である。
<源太の湯飲みニ点/普段使いの皿2枚、内一枚(左)は完成直前のもの>
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by jmc_music2001jp | 2011-05-11 01:37 | 芸術随想