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by jmc_music2001jp

バイロイト音楽祭・実況中継

 NHKがバイロイト音楽祭の実況中継を行った。昨年度に続いて2度目だと言う。バイロイトにはかねてから行きたいと言う想いはあったが、中々チケットを入手するのが困難で、未だに実現できないままでいる。

 開演まえの時間に劇場の周辺を散策する様子や、開演を知らせるファンファーレなど、ワクワクさせるものがあったが、開演すると、いつものドイツ風新演出に少なからず失望した。

 歌手は流石の実力者をそろえていて圧巻、オーケストラも寄せ集め楽団にしては良い出来だと思うし、指揮者も悪く無いと思った。しかし。何よりも『邪魔』なのは演出だ。衣装そして舞台、それを総合する演出手法・・・ブーレーズは「芸術は変わり続けなくてはならないのです」と言っていたが、芸術の永遠性と変革の必然性との関連は一体何なんだろう?疑問だけが残った。

 ゲルマン民族の神話を題材としたこの『楽劇』は、楽譜(音楽)も歌詞も全く変わらない上で、『何』が一体芸術として新しくあれるのだろうか?《ニーベルングの指輪》のバイロイト初演の為の練習の場で、ワーグナーはこう語っている。「楽劇、音楽と劇とが対等に手を結んだもの。つまり従来のオペラのように歌だけが重視されたり、歌手だけが目立ってはいけないのです。音楽を中断して拍手を浴びたり、不自然に客の方ばかりを向いたりすれば、劇の流れが途絶えるばかりか登場する神々が滑稽なモノになってしまいます。私は音楽と劇との最高のバランス、歌と言葉と動作が最高のバランスで保たれることを望みます」

 全ての要素が最高のバランスを保ちながら楽劇の本質を描き出してゆく。これがワーグナーの望んだ世界であった。果たして今日の新演出が、ワーグナーの望みを新しく叶えるものとなったであろうか?大いに疑問だ。

 例えば、<源氏物語>を舞台にかけたとしよう。プレイ・ボーイ光源氏が、上下の白のタキシード(おまけに白のシューズ!)を着用して、真っ赤なランボルギーニ・カウンタックに乗って登場してきたとしよう。女性群もそれぞれ胸の谷間を強調し、背中が全部見えるようなドレスを着て登場する。それでもテキストは源氏物語そのものを使い、語る口調も昔のままだったとすると・・・・見ている我々に、頭の中でドウつじつまを合わさせようと言うのだろうか?想像していただきたい、同じようなスタイルでワーグナーの楽劇を演じているのだ。
by jmc_music2001jp | 2011-08-20 00:15 | 芸術随想