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by jmc_music2001jp

N響定期演奏会/スザンナ・マルッキ指揮

 早朝のBSで久しぶり・・・と言うか“初めて”ベートーベンの『運命』を聴いた。今年7月15日の定期演奏会の収録である。「運命」も珍しいが、N響に「女性指揮者」と言うのもとりわけ珍しく、新鮮に映った。

 この指揮者、どこで勉強したのだろう、チャンと振れているのである。このような指揮法を教えるところが桐朋の指揮教室以外にあるというのは、少なからずビックリ。どこで学んだのか、何時か知りたいものだと思った。

 しかし交響曲第5番に込められたベートーベンのメッセージは、ついに表には現れて来なかったのは、何とも残念であった。これほど明確なメッセージを持つ曲なのに、<音の羅列>に阻まれてメッセージが表に現れて来ない。チャント正しく楽譜を振れているのに・・・それが「精神の物語」となって訴えかけて来ないならば、クラシックとして大問題ではないか。(指揮法は、まるで「お手本」のように良く振れていると言うのに)

 同じN響が、かつてはウィーンフィルのウィリー・ボスコフスキーが自らヴァイオリンを弾きつつ指揮したウィンナー・ワルツや、近くはネルロ・サンティが指揮した一連の演奏会での演奏!日本の楽団が国も歴史も超えて、本物の音楽を具現化できた証拠が、映像に残っている。これは確かに驚異的な出来事だ、しかし『現実』を証明するものとして残されていることに重大な意味があると思う。指揮者が何を感じ、何を考えていたかに大きく左右されると言うことだ。

 アンコールはシベリウスの「悲しいワルツ」。厚い雪雲のたれ込めた北欧の憂鬱は聴こえてこない。あまりにも明瞭なメロディー・ライン、まるでイタリアのよう。民族の感性は気候風土に多く作用される。気温や空気の質までを感じさせるのが音楽と言う芸術の力・・・それが出ていなくて、芸術の意味も目的も何処に在ると言うのだろうか?

 
by jmc_music2001jp | 2011-09-05 01:09 | 芸術随想