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by jmc_music2001jp

文化庁「次世代を担う子どもの文化芸術体験事業」

 2月10日は文化庁「次世代を担う子どもの文化芸術体験事業」講師として、4人の演奏家を同行して大分県宇佐市立長洲小学校を訪問いたしました。

 10時スタート。9時には学校に到着しておかなくてはなりません。朝5時30分起床と、私にとっては信じられないような日程で一日がスタートいたしました。博多駅7時発の「ソニック3号」大分行き。小倉経由で中津→柳ケ浦に8時49分の到着です。駅には担当の池田先生が出迎えてくれました、駅からは車で5分程、海に近い小高い丘の上に小学校は建っていました。

 校長先生にご挨拶すると、さっそく演奏会場となる講堂をチェック。今年10月には新しい校舎の建設が始まると言う古い建物ではありましたが、天井が“かまぼこ型”のアーチになっているお陰で、音響が非常に良いことは嬉しいことでした。

 演奏会の前に。学校側の企画として「キャリア教育<プロに学ぶ>」が予定され、10時のスタートではプロの音楽家としての努力や苦労、子ども時代の話などを、各演奏家に質問を投げかけながら進行いたしました。

 演奏会は「日本の四季」より《春》でスタート、「春よ来い」「早春賦」「春が来た」「花」をピアノ・トリオに編曲したものです。2月と言う時期や、親しみやすさからもスタートに相応しい選曲であったと思います。
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続いて、ピアノ独奏でリストの「愛の夢」。ここまでで45分を経過したので、8分間ほどの休憩を挟んで、後半はプーランクの「オーボエ・ファゴットとピアノの為の三重奏曲」(2、3楽章)、ショパンの「英雄」ポロネーズ、モンティの「チャルダッシュ」(トリオ)と演奏を進めました。
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 終演後、「質問コーナー」を設けて、演奏者への質問を受け付けることにいたしました。小さな子だったので、始めは気が付かなかったかったのですが、最前列左手前の子どもが“のそっ”と立っていました・・「ハイ、どうぞ」とマイクを渡すと・・・すこしモゾモゾとした後に・・「奇麗な音を聴かせてくれて、ありがとうございました」と語ってくれました。「あ々、感想だね!ありがとう!」(実は、この後に各学年から一人、感想を述べることになっていたのです)。

 「では、質問のある人は?」・・・その後、4人程が質問、演奏者がそれぞれに考えを伝えました。子ども達と演奏者の自然な交流ができて良かったと思います。その後は、当初の予定通り「感想」を述べる為の子ども達が前列に並びます。話し始めると、「1年生」「1年生」「1年生」と3人も1年生が続いて「???」と思いましたが、子ども達に共通していたのは「きれいな音」を聴かせてくれた事への感謝の言葉でした。
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 終演後は5年生の鼓笛隊へのアドヴァイスを行ったりして、12時に終了いたしました。終わって校長室に帰ってくると、校長先生が話してくれたのは、質問コーナーで最初に立った1年生は、「普段絶対にあのような場で発言するような子どもでは無いんだ」・・と言うことです。この事実には驚きと共に、今回大分まで出向いた意味の全てと交換しても良い程の出来事だと思いました。

 アノ“もそもそ”と立ち上がった子どもは、内から沸き上がって来た想いに突きうごかされて立ち上がり、そして語った....美しい響きと出会って、生まれて初めて、心の底から突き動かされるものを感じた。あの子は『響き』に共鳴して蠢き始めた自分の『心』に、戸惑いを感じながらも感謝の言葉を語らずにはいられなかったのだと思う。

 「感想」を述べるコーナーでも、1年生が3人も立ち上がるなど、予定には無かったことだと言う。校長先生の他の話から推察すると、「思ったことを発言する」ことについて、どうやら普段から制限などしないようにさせているらしい。その教育方針が、1年生が3人も立ち上がると言う現象を生んだのでしょう。この事は重要なヒントを含んでいるように、私には思われました。

 これまでは、小学校低学年の集中持続力は15分程度で、長時間の集中(音楽鑑賞)は困難である・・・と思っていました。今回、1時間30分の長時間にもかかわらず低学年を含めて集中力の低下は確認できません。それどころか、1年生があれだけの反応を示してくれたのです。これからは(考えを改めて)小学校(それも低学年を含んで)にコソ、生演奏を届けなくてはならない・・・と思います。

 現代の子ども達は、特にテレビ・ゲームや携帯ゲーム漬けとなって育てられています(コレが親の方針なのだから<何をか言わんや>ではある)。人間の情緒が形成される重要な時期を『仮想現実』に漬込んで育てるものだから、小学校を卒業する頃には「精神」も「情緒」も透明プラスチックに固められたように変質し、すでに『人間』とは言い難いような状況になってしまっている。大の大人が、平気で子ども達をこのような状況のまま放置している事は、全く持って信じ難いことです(本当は怒鳴りつけてやりたいくらいの気持ちなのだが・・・)。

 しかし、1年生ならば《未だ間に合う》状況なのだと言う事を、今回の長洲小学校の子ども達が証明してくれました。『生演奏の感動』とか言っても、中学生ではすでに、感動として受け止めるハズの神経が死滅していて、「無駄な努力」...という事になってしまうでしょう。
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by jmc_music2001jp | 2012-02-13 03:45 | 音楽企画制作