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by jmc_music2001jp

フェルメール“真珠の首飾りの少女”

 11月29日は晩秋の寒さが凍みる小雨模様の曇り空。九州国立博物館のベルリン国立美術館展に出かけることに致しました。会期は12月2日まで、最期の混雑を考えると今日しか無いだろう・・・と思ったからですが、久々の休日気分にノビノビと安らいだ気分で博物館に向かいました。

 九州国立博物館は太宰府天満宮の敷地内に建設されて、我が家から車で20分ほどの所です。昨日は電車に乗って太宰府駅まで行き、土産物屋で賑わう参道をさけて一本裏側の静かな細道を博物館まで歩きました。駅から真っすぐ6〜7分の距離。途中、光明寺と言う“紅葉”の非常に美しい禅寺の横を通って、真正面の小高い丘の上の博物館へと登ってゆきます。

 博物館に着くと、さすがに人気の展覧会です、少ないとは決して言えませんが、それでも絵画鑑賞が出来ないほどの人数ではありません。久々の展覧会場に足を入れます。美術館では順路に沿って観ることはマズありません、とにかく『自由に、気ままに、好きなように』ブラつきます。今回は先ずフェルメールの“真珠の首飾りの少女”の絵の前で足を止めました。人の流れからはずれた少し後ろの位置であれば、人を邪魔することも邪魔されることも無く絵画鑑賞ができます。

 会場内はやはり沢山の人です。しかし「こんなに沢山の美術愛好家が居るのか・・・」と思うだけでも、何だか幸せな感覚に包まれるものです。その空気に浸っているだけでも、かなりの「休日気分」で「リラックス」できました。

 “真珠の首飾りの少女”の絵には1時間程の時間をかけ、もう1枚レンブラントの真筆と言われる絵画に多少の時間をかけて見ることにいたしました。私にとっては2つもあれば充分に満足できるものです。レンブラントは東京近代美術館蔵の「読書する少年」を1時間ほど見続けた時に見えてきたモノが、自分にとっては『確かなもの』でありましたが、真筆のレンブラントを見た瞬間からその『確かなもの』を確認することができました。

 レンブラントについては、よく「光りと影」と言う言葉が使われます。これは(光りによる)「明るい部分と暗い影の部分」という意味合いに理解できますが、「読書する少年」から見えてきたものは『光そのもの』を捕らえて描き上げようとした画家の(執念とも思える)視点でした。今回のレンブラントの真筆からも『光そのもの』をハッキリと見て取ることができました。

 レンブラントとフェルメールは、同じオランダで重なる時代に活躍した画家達であり、フェルメールもやはり『光』を描こうとした画家と言われているようです。しかし、 “真珠の首飾りの少女”の絵には光線の方向はあったとしても、レンブラントのように『光そのもの』を捕らえようとした執念は感じられませんでした。光差し込む部屋の『空気』感を「存在の実感」としてを受け止めることはできましたが、果たしてフェルメールが画家の生命を賭けて取り組もうとしたものが「何」であったのかについては、確信を得るまでにはいたりませんでした。

 次のフェルメールとの出会いを楽しみにしておきましょう。ゆっくり時間をかけて、何時の日か『本質』に出会える時がくれば・・・それは嬉しいことですね。
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by jmc_music2001jp | 2012-11-30 17:32 | 芸術随想