“感性”を涵養する為に
2013年 02月 20日
ところが現実には、練習曲の順番や技術的な段階を踏んだテクニックの習得など、主に技術面の教育にやや偏った傾向が見られるように感じます。与えられた課題の楽譜を先ず<弾く>ことが、目前の目標になってしまうのが原因なのでしょう。
<音>とは非常に<抽象的>なものです。<音>そのものを聴いて、<感性>が或る<認識>に到達すると言うことは、非常に難しいことであります。jmc音楽教室の冬のミニ・コンサートで取り上げる「音楽物語」の朗読は、そのような“感性の涵養”に主眼を置いたカリキュラムの一つ。抽象的な<音楽>の前後を物語で繋ぎ<朗読>することで、<音楽の背景>への気付きを促そうとするものです。
私の生徒に小学校4年生のARATA君と言う男の子がいます。彼は歌を習いたくてやってきた生徒ですが、基礎になる聴音・ソルフェージュ・楽典を織り込んで教えてきました。やがてシッカリした基礎力を身に付けるにはピアノの練習も欠かせない・・・と言う事になって、ヴァン・ド・ヴェルトから始めることになりました。
今はその2巻に進んでいます。その中程に「夕暮れの空気」を感じさせる曲があって、その曲想を如何にして伝えようか・・・と考えていました。ほとんど風も無い、穏やかな夕暮れの空気。静かな教会の鐘の音が聞こえ、太陽はすでに山の端に沈んで、夕焼けの名残が僅かに残る。辺りはやや薄暗くなりかかって、家々の窓にポツリ・ポツリと灯りが灯り始める頃。静かな空気に包まれて・・・見上げると深い群青色の空に宵の明星が輝いている......。(そんな曲想です)
その日は非常に良いお天気で、風もなく穏やかな日でした。私の知っている風景では、太宰府天満宮の裏、宝満山の麓の竈(かまど)神社から太宰府の街を見下ろす場所が、この曲の曲想を一番良く感じさせてくれるだろう、と考えました。夕暮れには少々時間的には早いとは思いましたが、6時からのレッスンの生徒までには帰ってこれるだろう・・と思い、ARATA君とお母さんを車に乗せて出かけました。
竈神社に着くと、太陽は山の端にやや高く(もう少し待たなければなりません)、それでも曲想の持つ風景と空気を感じ取ってくれるように説明いたしました。次のレッスンの時間に遅れそうになって、帰ることにいたしましたが、絵に描いてみよう・・・と言うことになって、次の週のレッスンで夕暮れの絵を持ってきてくれました。その絵を見て、私の意図を十分に理解してくれたと嬉しく感じました。
“感性”を育むには、美しい自然に多く接することが一番だと思います。特に子供時代には沢山の体験を重ねて欲しいと思います。人間も自然の一部、自然の中には美しさの全てが、人間に一番分りやすい形で含まれています。
<ARATA君が描いてくれた風景>




