プロムス2013《魂の扉》
2013年 12月 17日
指揮者は中年の女性、後で分かったのだがアメリカでバーンスタインに指揮を学んだ人だそうな・・・それにしてはバーンスタインの指揮法の本質を、カケラさえも身につけていない....。本質的に“ぶきっちょ”な人らしく、およそプレイヤーには向いていない体質だと思われた。指揮者を目指すに当たって、先ずプレイヤーとして技術を極めよう・・・とは思わなかった人なのではないか。何故ならば、プレイヤーとしての指揮者の才能を、その運動から見つけ出すことが出来なかったからだ。例えば、作曲とか音楽理論とか・・・そのような(Playとは関係無い)世界から指揮者を目指したのではないかと推察される。
一例をあげれば、終盤で演奏される<定番>の「威風堂々」(レーガー)などは、「年末の市場の狭い通路で、混雑する人通りを、せわしなくかき分けながら急いでいる人」のようなテンポで指揮をする・・・「威風堂々」は何処へやら。これだけでも、この女性指揮者が<指揮者>には向いていないことが分かるのだ・・・。
「ところが」である・・・曲がソプラノ独唱つきの『ダニーボーイ』となった瞬間に、突如世界が変わってしまった。この曲は編曲が施され、曲頭はアイリッシュダンスのバイオリン独奏によって始められる。それが、『コレ以外に無い』と言うリズムとテンポとスタイルで演奏されるのだ!・・・そして<ダニーボーイ>!!!。
私は溢れ出る涙を止めることが出来なかった、こみ揚げる嗚咽を押さえることもできなかった。深夜に酒を飲んで泣いているオッサンなんて・・全くもって<絵>にはならないのだけれど・・・どうにもならなかった。
最初に聴いた「マイスタージンガー」と、この「ダニーボーイ」の違いとは、一体『何』なんだろう。同じ場所で、同じ指揮者の下で、同じオーケストラが演奏している、この余りにも違う『世界』とは一体ナニなのか・・・。
少なくとも「ダニーボーイ」には、『英国人の魂』に深く共鳴するものが確かに在って、「マイスタージンガー」にはソレが無い・・・と言うことでは無いのだろうか?
『魂』で捕らえられた音楽だけが。『人の魂』に訴えかける力を持っているのであり、要は『魂』の問題だ・・そう思わされた出来事であった。