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by jmc_music2001jp

”川の流れのように”そして《赤とんぼ》

 私の歌の生徒に84歳になるお婆さまがいらっしゃる。水曜日の昼にレッスンに来られるのだが、「先生、私もうダメ。最近本当にダメになっちゃった....」これが教室に入ってきての第一声、口癖になっている。これがレッスンとなると<シャキン>として、帰りにはすっかり元気になって帰られるのだ。

 私はこの方を教えていて「自分の歌唱指導は正しい」と確信を持てるようになってきた。発声練習に続いて歌曲の歌唱に入り、まず1回通して歌うのだが、当然何処かに何らかの問題がある。それを指摘した後の歌唱は「これこそが《歌》だ!」と断言できるほど素晴らしい歌を歌う。「人が想いを歌う」と言う面では、ある<完成形>なのではないか・・と、何時も思うのだ。

 先週は《赤とんぼ》を歌った。私はこのように話しを始めた「美空ひばりの”川の流れのように”と言う歌は、非常に難しい歌だと思う。子供の頃から天才少女と言われて、歌に映画にと常に日本のトップ・スターの名を欲しいまました彼女が、その最晩年に自分の来し方を振り返り<人生>を想う時、ただ山の上から平野を蛇行しながら遥か彼方へと流れ去る「川の流れ」を見ている、と言う<想い>に囚われる。言葉など何も出ては来ない....『ああ〜、川の流れのよぅ〜に〜』言葉は其れしか出て来ないのだ・・・その<言葉>にできない<想い>を歌に込めなくてはならない。これは非常に微妙で難しいことだと思う」。

 今、眼の前一杯に広がる真っ赤な夕焼けの風景を見ている自分、その<想いの原点>はどこにあるだろうか?姐やの背中におんぶされて見た、幼少期の記憶。いつも世話をしてくれた姐や、桑の実を摘んだ微かな覚え。15歳でお嫁に行った姐やの記憶は、今や顔さえも想い出せず、柔らかい首筋や肩の感触と、微かに甘酸っぱい香りの記憶.....。真っ赤な夕焼けの記憶は、(本人さえも気が付かなかった)姐やへの《淡い恋心》の奥へと繋がっている。この<想いの原点>と眼前に広がる真っ赤な夕焼けとの間に「世界」が「宇宙」が「今自分が生きているという存在」がある。それが《赤とんぼ》と言う『歌の姿』であると思う。

 そう説明をすると・・・次の歌唱では、見事に「その世界」がレッスン室の中に立ち現われた。これはすごい事だと思うし、やはり歌とはそのようなコトである・・と思うのだ。このような最終的な到達点の手前では、数多く技術的な課題を乗り越えていなくてはならない。しかし「この世界」が「歌」であると確信を持って言えることは、非常に非常に稀なことなのだ。
 

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by jmc_music2001jp | 2016-10-17 19:32 | 芸術随想