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by jmc_music2001jp

Face book 昔の投稿

 幻の巨匠セルジュ・チェリビダッケは僅かにNHKFMのシュトゥットガルト放送管弦楽団の放送によってのみ知ることのできる幻の指揮者でした。


 初来日は1977年、読売日本交響楽団の招聘によるものです。翌年も再度来日、一斎の無駄を省き『音楽そのもの』だけを示す姿勢は徹底したものでした。この折の2回の講習会に参加し、多くの《学び》をいただきました。


 ウィーンのO.スイートナーのクラスで、ベートーベンの「田園」を課題に取り上げました。スイートナーが指先で机を叩きながら<農民の踊り>のメロディーを歌った時、彼の『手首のリズム』を見て衝撃を受けました。「このリズム感は我々日本人には無い!!」


 それ以来、我々日本人の目指す方向はチェリビダッケのような、国も民族も歴史も排除し、純粋な『音楽』そのものを追求する・・・と言う方向しか無いのではないか?と思うようになりました。民族の歴史や習慣などの衣をまっとっていては、本場に叶うわけはありません。



大畑 惠三

2019520


<ブカレストのチェリビダッケ>

 YouTubeEnescuRoumanian Rhapsody No. 1を聴いた。1978年の白黒映像。チェリビダッケの面目躍如と言った名演奏。音楽が生き物のように躍動している。チェリビダッケの表情の豊かさや「シリ振りダンス」も懐かしい、今にもソコに彼が生きているようにさえ感じられた。

 その後、ヤンソンスの1994年のWaldbuneの演奏(ベルリン・フィル)で同曲を聴いてみた・・・一体この<違い>は何だろう???・・・考え込んでしまった。

 ベルリンフィルのメンバーは「自分は演奏家」と自覚していて、今は「本番」・・だから「演奏する」。「俺はプロ」・・だからその演奏家としての務めを果たす。ヤンソンスは「この曲は楽しそうな曲」と思っているラシイ....

 チェリビダッケとは一体ドコが違うのだろう?祭りの広場の周辺の空気、囀る鳥の声、音楽が始まり、男女が登場し踊りが始まる...精一杯の輪舞・ステップ・次々と繰り出す踊り手・・音楽のエネルギーと踊り手の運動のエネルギーが一体化する。踊ることの原点、生命その物のダンス・輪舞...

 つまりは指揮者の<心の焦点>がどこに結ばれているかの違いなのではないだろうか・・・顕微鏡でつまみを回して観ていると<焦点距離>の変化に連れて様々異なる物が見えてくる。つまりは<同じ楽譜>を観ていても、<心の焦点>をどこに結ぶかで異なる音楽が見えてくるのだ。


by jmc_music2001jp | 2021-05-20 20:19