内田光子の《皇帝》
2008年 06月 12日
近年トンと出会う機会がなくなった精神性の高い演奏。「あ々!まだこう言う人が居たんだ!」と非常に救われた気持ちになりました。
近年のクラシック界はパフォーマンスの域を出ていない演奏が主流になっているように見受けられます。その原因について(複雑な要素がからんでの結果だと思うし)簡単に論評しては、大きく誤ることになるでしょう。ただ言えることは、「魂」という言葉が世界中で<死語>同然となっているのではないか、ということです。
「魂」は、物事を左右するその中心から外され、忘れ去られようとしているかのように見えます。代わって「競争に勝ったか?」「売れるか?」などがその中心を占めている。そもそもクラシック音楽は、もっと違ったものを大切にしてきたのではなかったのか?
内田光子の「皇帝」からは、「音楽」を探し求めようとする<魂の働き>を感じ取るとこができました。内田光子に注目です。