旅とガイド
2008年 07月 30日
私は常々、旅行中のガイドさんの話しはあまり(ほとんど)聞かないことが多いのです。一人離れてビデオや写真を撮ったりしていることがほとんどでした。ところが今回は添乗員も現地ガイドも大変誠意ある方々で、その誠意を感じるとついつい話しを聞くことになってしまいました。
アルカサルを見学した時、広い宮殿内を次々と現地ガイド(日本語もお上手!)に案内されて歩いたのですが、建物から外に出てパティオ(中庭)を見学した時、その余りの美しさに撮影に夢中になってしまいました。
このパティオは、外出させてもらえない深窓の令嬢の気持ちを慰め安らぐようにと、作られたものだと言います。キットそのせいでしょう、言葉で言い表せないほど、何とも美しいのです!あまりの美しさに夢中になってしまいました・・・結果、気がつくと誰も居ません・・・広い宮殿で迷子になってしまいました。
ガイドの話しを聞きながら、次から次と場所を移動するのには、かねてから疑念を抱いていました。せっかく現地に居ながら「説明の言葉を認識」するだけで、言葉で語り尽くせないものを<感じ取る>チャンスを逸するように思えるからです。
人間の言葉で語れるものは、物事の(ほんの一部の)枠組み程度のものではないかと思います。一番肝心なものは、その枠組みの内側に隠されているもので、それを感じ取るために現地に赴くのではないでしょうか・・・もっと我慢して、沈黙に耐えて、感じ取ろうとしてみてはいかがでしょう。
百の解説を聞かされても、千の書物をひも解いても、「感じ取る耳」を開かない限りは音楽の一番重要なものは聴こえてきません。