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by jmc_music2001jp

トスカニーニ・東山魁夷、そして魔界

 昨晩、BSでトスカニーニの特集が放映され、彼の指揮する貴重な映像に触れる事ができた。これほどじっくりと彼の指揮振りと音楽に接するのは初めてだと思う。

 指揮をしている最中の彼の顔を見ていると、彼の音楽作りの秘密が見えて来る。指揮棒を振りながらも、彼の魂はまんじりともせず頭上の一点を見つめ続けている。「目」が見ているのではなく、「魂」が見つめ続けている一点こそが重要なのだ。ここが世紀の指揮者たる所以であろう。

 彼の魂が見つめているのは「何」か・・・あえて言葉を探すとすれば、それは「魔界の入り口」とでも言えばいいのだろうか。ポッカリと口を開けたブラックホールの、その深奥に向けて見開かれている魂.....。

 この「魔界の入り口」にはこれまで数回出くわしている。最初は留学最初のザルツブルグ音楽祭でのプロコフィエフの第5交響曲(バーンスタイン指揮:イスラエル交響楽団)。東山魁夷の唐招提寺の襖絵の「海」の中や、山脈や森を描いた絵画の中にも随所に発見できる。

 ブランド品や流行のファッションに身をやつしているセレブには見えなくなっているのかも知れないが、人間が自然の脅威の中でのちっぽけな存在でしかなかった昔には、人は海にも山にも、夜の漆黒の闇に対しても、大いなる恐れをもって生きていたに違いない。その時代にはそこここに「魔界の入り口」がぽっかりと口を開き、魔物の気配に敏感な人間の、日々の営みが繰り広げられていたのだ。

 その「魔物」が「何」であるのかは分からない。便利さを手に入れた現代人は、もうすっかり魔物を感じ取るアンテナが錆びつき、暢気に陽気に我が世の春を謳歌しているうちに、気がつけば地球環境を取り返しのつかないほどに破壊していたのである。

 東山魁夷の絵画には、この魔物の存在への恐れを感じるとともに、人として生きるうえで謙虚であることを促されているように思われてしかたがない。人間の思考や言語では説明しきれない<絶対的な創造主の意志>を感じ取ろうとすること....そんな心を、現代人は失ってしまったのではないか?それは、現代社会が人々の<魂の目>を曇らせてしまったことに起因するのであろう。
 
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by jmc_music2001jp | 2009-02-16 21:37 | 芸術随想