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by jmc_music2001jp

「君子、固より窮す」

 東京に就職した息子の部屋は未だそのままで、時折私が籠もって仕事部屋に使ったりしている。机の本棚に一冊の本を発見した・・・「孔子」(井上靖)。何とはなしに其の本を一日3~4ページ読み進めるようになった(何処で読んでいるかはナイショ)。

 隣国の呉が全軍をあげて陳国へと攻め入った時、すでに齢六十を過ぎていた孔子は、三人の高弟を連れ4年滞在した陳都から楚の負函に逃れます。途中で呉の敗残兵に食料から荷物の全てを奪われる事件に遭遇、陳都を出て8日目には疲労と空腹で朦朧となり、動けなくなってしまいました。

 その夕方のこと、高弟の一人・子路がふらふらした足取りで孔子の方へ近づき「君子も窮することがありますか」と投げつけるような口調で問いかけます。すると孔子は爪弾いていた琴を放して「君子、固(もと)より窮す」・・・力の入った大きな声、さらに追いかけて「小人、窮すれば、斯(ここ)に濫(みだ)る!」と言い放ちました。

 乱れにみだれた天下を、少しでも秩序あるものにするにはどうしたら良いか・・・昼夜思いを巡らし、人に「信」を説き、「仁」を語る孔子にとって、この世とは窮することばかりの世界に感じられていたことでしょう。このような状況下でも、泰然と琴を爪弾き、心を調えて天下の難題から片時も目をそらすことが無かった・・・・・。

 孔子は己の「魂の目」をもって、この難問を注視し続けたのであろうと推察されます。それはトスカニーニの、そしてべームの「魂」が見続けた、『音楽への作法』を思い起こさせます。わが師チェリビダッケもそうでした。クリーンに研ぎ澄まされた彼の「魂」が<音楽でないモノ>を嗅ぎわけ排除した、その後に残ったものが(彼の)「音楽の本質」であったのだと思います。・・・・ところで昨今では、「魂」はすでに死語なのでしょうか?
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by jmc_music2001jp | 2009-03-11 02:07 | 芸術随想