散歩の道すがら[1]
2009年 04月 30日
ここらあたり一帯はその昔、筑紫の国と呼ばれ大野村と言われていた。一帯の森は「御笠の森」、近くを流れる川を「御笠川」と言う。
散歩の途中、御笠川の手前に、昔の「御笠の森」をそのまま保存している一角を発見した。<案内>を読むとこうだ・・・
その昔、神功皇后(じんぐうこうごう)が武内宿禰(たけうちのすくね)の大軍を従えて(御笠)川に沿って南下、筒井村にさしかかったところ、にわかに“つむじ風”が吹いて皇后の笠が風に舞い上がり、1キロほど離れた山田村の楠の木の上に引っかかってしまた。どうしても捕ることができなかったので、木の前で<舞>を神様に奉納すると、笠がひらひらと舞い落ちて来た・・・・「御笠」の名称の由来はここから来ているとのこと・・・。
この辺り一帯に刻まれた、古代日本の歴史・・・“御笠の森”に、いにしえの面影を偲んだ。
神功皇后(じんぐうこうごう)
日本書紀などによれば、201年から269年まで政事を執りおこなう。夫の仲哀天皇の急死(200年)後、住吉大神の神託により、お腹に子供(のちの応神天皇)を妊娠したまま海を渡って朝鮮半島に出兵して新羅の国を攻め、新羅は戦わずして降服して朝貢を誓い、高句麗・百済も朝貢を約したという(三韓征伐)。
武内宿禰(たけうちのすくね)
古事記・日本書紀 大和朝廷初期(景行天皇〜仁徳天皇)5代の天皇に仕え国政を補佐したと伝えられる伝説的人物。あまりに長期に渡るので、一人ではなく武内宿禰の名前で一族などが代々名前を継いで国政の補佐にあたったものと思われる。