私の心の故郷と断言してもいい、懐かしいザルツブルグの風景。映画の中の至る所に懐かしい風景が現れる。全てに抱きしめたくなる程の懐かしさを覚えるのだ。私が留学の第一歩を印したのがザルツブルグ。ザルツブルグ・モーツアルテウム音楽院の夏期講習が、私の最初のヨーロッパ。ここで3週間を過ごした。
その翌年の夏もザルツブルグで過ごす。その後、平成5年から2年に一度実施してきた「jmc欧州音楽の旅」においても、最初の年にはザルツブルグに4日間滞在し、たっぷりと音楽祭を楽しんだ。当初は連続4回、最後の訪問地をザルツブルグと定めて滞在したものだ。その時の旅仲間は皆<ザルツブルグは自分の街>と思っている。
中でも、マリアが入っていた修道院の撮影に使われた「ノンベルク修道院」。この修道院の<夕べの祈り>には、ザルツブルグを訪問する度に、皆さんを案内している。私の音楽人生の大きな「ターニング・ポイント」となる体験を、留学初回の滞在で偶然経験したことによる。
ホーエン・ザルツブルグ城の立つ丘をザルツァッハ川の下流側から登り、上流側の端まで散策したことがある。ノンベルク修道院は旧市街から見上げたホーエン・ザルツブルグ城の左端に位置している。お城の中腹の道を丘の左端まで歩いた頃は、すでに傾いた夕日が辺りを柔らかいオレンジ色にそめていた。
左端まで行くと、道は右にカーブして丘の裏側へと続いている。最も左端の部分には石作りの門があって、頭上にはマリア像が来る人を見下ろしていた。門をくぐりさらに右へ、丘の裏側へ廻ると、ザルツブルグ城の左端を裏側から見上げることになる。その手前に「ノンベルク修道院」の入り口がある。
トラップ大佐への恋心に恐れをいだいたマリアが修道院に逃げ帰り、子ども達がマリアを訪ねてゆくあのシーン。呼び鈴を引く黒い金具は、平成5年の訪問までは映画そのままであった。その門をくぐり、正面の重い木の扉を開けると、薄暗い聖堂へと入る。
薄暗く静かな聖堂。古い木製の長椅子にしばらく腰掛けていると、背後の頭上に人の歩く物音がしたと思うと、柔らかいオルガンの音色が聖堂の中に流れ込んで来た.......これが<夕べの祈り>との出会いである。
祈りは全て「歌」、心の中に流れ込んでくる「歌」を、流れるにまかせて聴いていた............これは「音楽」ではない、これは「歌」でもない.......全てが『祈り』なのだ・・・その他のものは一切何もない・・・ひたすら『祈り』....。
日本からヨーロッパに来て、偶然の思いもよらない体験であった。これが私の音楽のターニング・ポイントとなったのは確かである。
3月1日(PM5:00-)jmc音楽研究所小ホールで《Anniversary Concert》が開催されます。一般公開されるものではありませんが、永年「歌唱教室」で歌を続けてこられた方々が、それぞれのAnniversaryとしてのコンサートを開催することになったのです。ある方は還暦を祝って、ある方は永年勤務した学校の退職を記念して・・・一つの節目を<Anniversary Concert>としてお祝いしようと言うことになりました。
「歌唱教室」の4名とピアノ・レッスンを続けてきた1名・・・5名による<Anniversary Concert>。ご主人や家族、お友達を招待してのコンサート。終演後は皆でシャンパンで乾杯して・・・パーティーは、キット楽しく盛り上がることでしょう。人生を本当に豊かに生きている素晴らしい人たち、こいう人達を一生の友とできるのは、本当に幸せなことなのだと思います。
<Anniversary Concertプログラム>

私のウィーン留学期は、良き時代の音楽の薫りを伝える巨匠が活躍している時代でもありました。チェリビダッケ、カラヤン、バーンスタイン、クライバー、マタチッチ、ホルストシュタイン、そして忘れてはならないのがカール・ベームです。
私はウィーン・フィルハーモニーの練習を(コンサートマスターのライナー・キュッヒルさんにお願いして)しばしば見学するチャンスに恵まれました。貴重な体験でしたし、勉強のチャンスと言う意味では真に得難い機会を得ることができたと感謝しています。
ある時、カール・ベームの指揮による定期演奏会の練習に立ち会うことができました。練習が始まり、最初のtuttiの棒が振り下ろされるとオーケストラはフォルテでバラバラになって出てきます。直ぐに練習を止めたベームが怒ります・・・やり直し。2回目...っと棒を振ると、再度バラバラ。又、ベームが怒鳴ります。3回目...、少しバラバラ。怒るベームの声。4回目・・・かなり揃ってバラバラ。怒るベーム、5回目・・・ほとんど揃って少しバラバラな音の出・・・6回目、見事に揃った緊張感溢れるtutti....そのまま緊張度の高い音楽が流れだします。
「あの棒(指揮)では出れんよなァ〜」....見ていた私はそう思いました。しかし、ベームが怒り、繰り返される度に、オーケストラの集中度が高まり、全体が一つの緊張感で貫かれるまでにレベル・アップしてゆくのです。ある日のオペラ座で、私はオケピットを横から見下ろす席(4階の立ち席)から、ベームの指揮を見ていました・・・っと、ある管楽器が小さなミスをやらかしたのです。ベームは<キッ!>っとその奏者をにらみ付けると、そのまま30秒ほどその奏者をニラミ続けたのです・・・これがカール・ベームの(あえて言うならば)指揮法と言えるのでしょう。
そのような指揮の結果に現れる「音楽」が、余りにも崇高で素晴らしいことを、全ての人が知っているからこそ、彼の音楽を指揮法までも含めて受け入れているのです。ベームは「耳」と「魂」で指揮をする指揮者の典型です。決して「腕」では指揮しなかった音楽家でした。彼の偉大さも、その「魂」に由来しています。
プログラムの最後はプーランク。桐谷美貴子(オーボエ)・佐藤貴宣(ファゴット)・大畑康子(ピアノ)の3名は、この魅力的なトリオで、洒脱でウィットに富んだ演奏を繰り広げてくれました。
2楽章<アンダンテ>・・・この楽章は『薫りの音楽』だな・・・っと思いました。思い返してみれば、<薫りのような音楽>は他に思い当たりません。素敵ですね、さすがフランス人の作曲家。ワイングラスから立ちのぼる赤ワインの薫りを想わせる曲など、他の国の作曲家は考えつかなかったことでしょう。
フルボディーの年代物の赤ワイン.......グラスの底から満ち溢れてくるアロマ....柔らかく繊細で、しかも濃密な薫り....ロマネ・コンティだろうか...
<プーランク/ピアノ・オーボエ・ファゴットのための三重奏曲/第2楽章>

プログラムはワークナーの作品集。レコードでは少々触れた経験があるのだけれど、映像となるとジックリ見るのは初めて・・・いろんな事が見えて来る。
トスカニーニの音楽作りの秘密については、先のブログに書いた次第だが、目の奥の「魂」が一瞬の間もはずすことなく一点を見据えつつ指揮している姿は、非常に印象的であった。この(あえて言えば)指揮法がトスカニーニを世紀の大指揮者たらしめた要因であろう。
一方で、トスカニーニに関する「逸話」の理由と原因も又見えてくる。レコードを聴いても、今回のBSの放映においても、時としてオーケストラの音が「固く」、特に弦楽器に少々雑音を含んだ音が聴かれる原因にも納得した。
演奏されたワーグナーの曲では、フォルテの部分の1拍目は、ほとんど全てを(斎藤指揮法で言うところの)<直接運動>が使用されていた。しかし彼としては<スフォルツァンド叩き>で指揮しているつもりの部分である。「思い」と「実際」が違うのだ。結果1拍目の音の出は<直接運動>の動き始めの「少し後」の部分となってくる。このズレからくる戸惑いは、弦楽器奏者の腕に僅かに(無駄な)力を生むことにつながり、結果「音」に少々の<濁り>が入るのだ。トスカニーニの演奏(音楽)が「固い」と言う特色を持つのは、コレが原因である。
彼は「耳」で指揮をしているのであり、「腕」で指揮しているのでは無いから、そのズレは演奏者(特に弦楽器)の身体の中に<歪み>を生むことに成る。これが図らずも「トスカニーニらしい演奏」を生む原因となったのだ。しかし、彼の偉大さは別に起因するのであって、<魂が見据えているもの>こそが世紀の大指揮者を生んだ要因である。
昔のオーケストラ経営者は、指揮者に完全なる<指揮権>を与えた。短気で癇癪持ちであったトスカニーニは、楽員を怒鳴りつけ、徹底的にイビリ・しごいた.....彼の「魂」が見据えている「音楽」に決して妥協しなかったわけだ....。そう出来ることを経営者が保障したのである・・・結果、世紀の大指揮者トスカニーニとNBC交響楽団の名演奏が歴史に残った。
ところで、なぜ彼が「怒鳴る」ことになったのか・・・その原因は、彼の振る指揮棒を見て(自然に)演奏すると、彼の「魂」が見据えている「音楽」とは違うものになってしまうからだ。演奏者は、怒鳴られることによって、自分の身体の中に生まれる(自然な)演奏の為のエネルギーにバイアスをかけて調整しなくてはならなくなる。コレは演奏者にとってはかなり苦しいことなのだが、トスカニーニの見据えていた<音楽>と、オーケストラ経営者が彼の<怒鳴り>と<イビリ>と<しごき>を容認したことが、「世紀の大指揮者トスカニーニ」を実現させる原動力となった。
これに似た例が、カール・ベームにも当てはまる。ウィーン留学時に接したベームの指揮については、次の機会に譲ることにしよう。
指揮をしている最中の彼の顔を見ていると、彼の音楽作りの秘密が見えて来る。指揮棒を振りながらも、彼の魂はまんじりともせず頭上の一点を見つめ続けている。「目」が見ているのではなく、「魂」が見つめ続けている一点こそが重要なのだ。ここが世紀の指揮者たる所以であろう。
彼の魂が見つめているのは「何」か・・・あえて言葉を探すとすれば、それは「魔界の入り口」とでも言えばいいのだろうか。ポッカリと口を開けたブラックホールの、その深奥に向けて見開かれている魂.....。
この「魔界の入り口」にはこれまで数回出くわしている。最初は留学最初のザルツブルグ音楽祭でのプロコフィエフの第5交響曲(バーンスタイン指揮:イスラエル交響楽団)。東山魁夷の唐招提寺の襖絵の「海」の中や、山脈や森を描いた絵画の中にも随所に発見できる。
ブランド品や流行のファッションに身をやつしているセレブには見えなくなっているのかも知れないが、人間が自然の脅威の中でのちっぽけな存在でしかなかった昔には、人は海にも山にも、夜の漆黒の闇に対しても、大いなる恐れをもって生きていたに違いない。その時代にはそこここに「魔界の入り口」がぽっかりと口を開き、魔物の気配に敏感な人間の、日々の営みが繰り広げられていたのだ。
その「魔物」が「何」であるのかは分からない。便利さを手に入れた現代人は、もうすっかり魔物を感じ取るアンテナが錆びつき、暢気に陽気に我が世の春を謳歌しているうちに、気がつけば地球環境を取り返しのつかないほどに破壊していたのである。
東山魁夷の絵画には、この魔物の存在への恐れを感じるとともに、人として生きるうえで謙虚であることを促されているように思われてしかたがない。人間の思考や言語では説明しきれない<絶対的な創造主の意志>を感じ取ろうとすること....そんな心を、現代人は失ってしまったのではないか?それは、現代社会が人々の<魂の目>を曇らせてしまったことに起因するのであろう。
彼のストラディバリはクライスラーが弾いていた銘器らしく、自分のものにするまで3年間もかかった(つまり、それだけ高価であった)と言うことだ。テレビのスピーカーを通した音にもかかわらず、その音の質の高貴なことは歴然であった。
音の焦点が一点に定まって、どの音にもブレが無い。明快・明瞭な音色は、輝きと香気さえも放っている。ちょうど演奏されているバッハの時代に制作された楽器だと言うが、見事といって、これほど見事な楽器は無いだろう。人類の至宝の一つと言って過言ではないと思う。伴奏はスタインウェイを使用していたが、そのスタインウェイが完全な脇役に廻ってしまうほどに上質な音色であった。
弦楽器は残酷な面がある。楽器は全て同じと言えば同じではあるが、演奏家の腕をもってしても楽器の質の限界を越えられないと言う部分がどうしても存在するのだ。最高レベルの楽器は、管楽器で100万の単位、ピアノで1000万の単位が、弦楽器だと億の単位に跳ね上がってしまう。億の単位の金額は、個人の力でそうそう自由になるものではない。
先日、NHKのBSで日本人の凱旋公演とも言える室内楽コンサートの放映があった。第1バイオリンは世界最高レベルのコンクールに優勝し、日本と世界の楽壇での今後の活躍が期待されているのだが、その室内楽演奏会を聴く限り(いかんせん)彼の実力に比して楽器のレベルが非常に劣るのである。こんなに悔しいことは無い。彼の実力と音楽を演奏会場の空間に解き放つことが出来るだけの、高いレベルの楽器を持たせてあげたいと心底思った。
ついに昨日は<春一番>
湿った生暖かい空気とともに
春が一気にたぐり寄せられた様子です
年が明けると、朽ちた葉も花もすっかり抜け落ち、茶色の茎が無数に空を刺すコレ又凄まじい姿へと変貌・・・見ていると・・「冬だなァ......」っと本当に思います。
1月の下旬には市から派遣された方々が、枯れ果てた茎や雑草をきれいに手入れしてくれるのですが、その時いつも驚かされるのは、枯れ果てた冬の姿の下で、すでに春の準備が顔を出していることです。
前日までの荒れ果てた風景との対比で、いつも感動させられる光景です。
<春を準備する、若々しい菊の葉>

最初のウェスタンを聞きながら「ものまね」だな・・・っと思った。しかも、発音や節回しなど大変上手いのだ・・・なんだかそれだけに、よけい「ものまね」と言う思いが強くなったように思う。戦勝国アメリカの音楽を、敗戦国日本の若者が憧れをもって追いかけている・・・そんな当時の姿が蘇ってくる。
この「ものまね」の問題は、我々クラシックの人間にも重い課題として残されている。ウィーン留学中のスゥイートナーのクラスで、彼が口ずさみながらテーブルを叩いた田園(Beethoven)の「農民の踊り」のメロディー。そこで現れた手首のリズム!・・・衝撃を受けた・・・「コレは我々日本人には無い(リズム)!」。
日本人としては、チェリビダッケのような方向にしか道が開けないのではないか・・・当時そういう結論に至ったことを思いだす。