6月29日現在で、歩き始めて76日<一日一万歩>を歩いてまいりました。考えてみれば76万歩以上を歩いたのですが、<76万>といってもちょっとピンと来ません。76日間で665.5Km歩いたことになるけど・・・どの位のものなんだろうか?日本の最南端から最北端までの距離を調べて、歩いた距離にチェックを入れて行けば、感覚的に捉えやすいかな?・・・・モチベーションも高く保てそうだし・・・
梅雨時期のウォーキングは、ベッタリ肌に張り付いたような湿気が苦痛といえば苦痛、終えるころにはズボンの裾は、雨ですっかりボタボタに濡れています。小雨の時間を見つけて、夕暮れ以後に歩くことが多くなりました。
特集番組はほんの一部分しか目にはしていませんが、なぜ『天才』なのかについて、具体的に指摘している場面に出会ったことはありません。「(私が)聴いて(他の歌手にはない)感動を受けるから、美空ひばりは天才なのだ」・・と言うのと左程かわらない内容ばかりです。
“美空ひばり”が他の歌手と決定的に違うのは、「想い」を(音楽的な)「表情」に変換する部分が、創造主が設計した通りに100%機能している点にあります。だから「言葉」に「想い」を込めて歌った時に、全ての人が彼女の<想い>を<歌の心>として、各自の心に受け止めることが出来たのです。
例えば<人との出会い>の場を想定してみましょう。出会って「あっ!どうも・・」と挨拶したとして・・・相手が(1)大好きな恋人、(2)尊敬する会社の先輩、(3)本当は顔を見るのもイヤなヤツ、(4)40年振りに会う同級生、(5)借金の返済をシツコク迫られている貸金業者・・・の場合
相手を見つけた瞬間、『目の奥から、目線を中心とした顔の部分』が(1)〜(5)で全く異なる反応を起こすことは、お分かりになると思います。この部分は人間の「表情」の変化が現れる部分で、「心・想い」が「表情」に変換されて、相手に発信される機能を持っています。
この「想い」の「表情」への変換が、創造主の設計通りに100%正確に機能できているのが“美空ひばり”の歌なのです。それが幼児期からすでに100%理想的に機能していたのが、彼女の「天才」たる所以でありましょう。
「愛燦燦」の歌の全ての時間を通して、「言葉」に「想い」があれほど満ち充ちている歌は、彼女にしか歌えないでしょう。「・・・あ〜あァ〜〜、川の流れのよ〜ゥに〜〜」と言う歌詞の背景に、<これまでの人生の全てを俯瞰する想い>が込められるのは、彼女をおいて他に居ないでしょう。(これに日本国民はシビレタのでしょうネ)
しかし歌手と言われる人達でも、この「心」と「想い」と「言葉」と「表情」の関連性と、それぞれの機能の組み合わせによる仕組みについては、余り考えた事が無いのか、もしくは知らない人が多いようです。私は「歌」を教える時は、必ずこの部分についても具体的に手順を追って教えてゆくことにしています。
時代は第2次世界大戦後、独裁者アレルギーの吹き荒れた頃の、オーケストラの練習風景が描かれたものです。指揮者が何を指摘しようと、耳を貸そうともしない楽団員達。ある者は全く別の事に気をとられ、又ある者は何等遠慮することなく弁当のサンドイッチを食べはじめ、管楽器奏者の男女はピアノの下に隠れて愛撫を交わす・・・と言った始末。これがオーケストラの練習中の状態として描かれます・・・。
指揮者が練習に集中するように注意すると、「指揮者なんかイラネエ!」「メトロノームがあれば、指揮者は不要!」・・・と、ドでかい<メトロノーム>を練習会場に持ち込もうとする・・・練習会場は無法地帯の様相を呈します。
これらが描かれている間に、時々『ズん、ズシーん』と建物が揺れ、それが徐々に大きくなっていました。天井からパラパラと破片も落ちるようになって、それでも楽団員の騒乱状態は続いていたのです。
ある放送局のインタビューが入り、楽員へのインタビューが始まります。ハープ奏者の女性がインタビューに答えて、自らの音楽一筋の日常生活について語っている時に、猛烈な勢いで練習場の壁が崩れ、あたりは粉塵に包まれて何も見えない状態になりました。・・・その粉塵が収まると・・・崩れた壁の向こうに『とてつもなく巨大な鉄の玉』・・・崩れた壁の下から、先ほどのハーピストが救い出され、搬出されてゆきます・・・
呆然と『鉄の玉』を見上げる楽団員に、指揮者が声を掛けます「サァ!練習しよう!」・・・この時から、初めて楽員達は真顔になって練習を始めました・・・これがエンディングのカットです。
フェリーニという名監督の慧眼に、恐れと尊敬の念をいだきました。物事の本質を深く理解して、このようなストーリーに『鉄の玉』というかたちで鉄槌を下したのです。ノルーウェーのオーケストラの楽団長は、この映画を見るチャンスが無かったのでしょう。
ヒットラー、ムッソリーニ等の独裁者を体験した欧米社会は、2次大戦後に独裁者アレルギーとも言える感情に支配されました・・・・「独裁者はもうコリゴリ」・・と言う訳です。これが<民主的なオーケストラ経営>と言う意識を芽生えさせたのです。ロシアにおいてさえ「そもそも指揮者という存在が君臨すること自体がケシカラン」・・・となって、<指揮者の居ないオーケストラ>を運営しようとする試みまでが生まれています。しかし、程なく「ソレではオーケストラとして成立しない」と言う事が判明、失敗に終わりました。
音楽の感性は十人十色、テンポ感もリズム感も全ての音楽家で相互に異なっています。そもそも指揮者が出現したのは、楽団が集団として大きくなってきたことで、集団を代表する<解釈者>を立てなくては<音楽集団>として成立できなくなったという経緯があるのです。
オーケストラの指揮者の役割に近いものを、現代の社会の中に見つけるならば、私は軍隊の指揮官の役割が最も近いもののように思います。個々の兵器が優れているのは当然として、それを操作する兵隊の技能も優秀でないと戦いには勝てません。非常に多くの要素が複雑に絡み合ったバランスの上に、状況が判断され作戦が実行されます。作戦命令に即座に反応して、的確な戦闘行為を具体化させる機動力が求められます・・・この内のどこか一つがつまづいても、戦争に敗れます・・・・。
ところで<民主的な軍隊>と言うものを想定できるでしょうか?<作戦>について、兵隊の「投票」過半数で決定する・・・トカ、「突撃命令」が出されても、中には<俺ヤダよ>と自己主張する兵士が居たり・・・トカ。本物の軍隊でしたら百戦百敗になって、しかも死者が沢山でるので、即座に改革の手段が講じられますヨネ・・・。
しかし、オーケストラでは死者が出るわけではないし、「通り一遍のツマラン演奏会だったなぁ〜」くらいで済んでしまうせいで、それほど大きな問題にはならないのです。練習中の指摘が細かすぎると感じたり、ウットオシイと感じたりした楽員の声が、今回のように信任投票につながりソレが有効に働くような事態では、指揮者には<音楽上の指揮権>が与えられてナイと言う事になります。そのくせ指揮者の地位を与えているのですから、これはもう楽団経営者の責任と言えるでしょう。
大戦後の<民主的>空気の中で、なんとなく行われて来たオーケストラ経営。しかしソレは交響楽と言う音楽ジャンルから<輝かしい芸術的勝利>を獲得するには、余りにも不十分な経営理念のもとでおこなわれてまいりました。音楽とは何か・生演奏とは何か・オーケストラとは何か・社会とは何か・・・・何か・何か・何か・・・もっともっと思索を重ね、深い理念を確立した後に、オーケストラの経営に携わるべきでありましょう。
新しい指揮者の練習をハードで高圧的に感じた団員が、指揮者に対する信任投票の結果、<NO>を突きつけたところから騒動が起こります。指揮者は任期を3年残してオーケストラを去り、同時にマネージャーなど事務方の主要メンバー3人中の2人もが、オーケストラを去りました。
最後の演奏会のメインはモーツアルトの交響曲、(多少ナーバスに聴こえたかも知れないが)緊張感あふれる素敵な演奏だと思いました。聴衆もスタンディング・オーベーション、とても満足している様子です。
このような演奏を引き出せる指揮者は、練習中の楽団員への注文が、細かく・多く・厳しいであろうことは容易に想像されることです(そして、ソレをオケの団員は嫌います)。
残る3年の契約金は支払われることになりますので、オーケストラ自体でお金を稼ぐには、新たな仕事を見つける必要もでてきます。そこでポピュラーの伴奏の仕事・・・本番中の苦渋に満ちた楽団員の表情、自嘲を含んだ笑顔・・・「山あり谷ありの一年だったよ」(あるバイオリン奏者の述懐)・・・いったい「何」だったのか?
このドキュメンタリーの終わりに流された映像は、この問題の本質を象徴しているように思えました。正装をしてバイオリンと弓を持った男性が、高い橋の欄干から、はるか下の川面にダイビングするのです・・・その様子をスローの画面がゆっくりと追ってゆきます・・・。
なぜこのような問題が起こるのでしょう?・・・・明日はその点に触れてみたいと思います。
今回のモーツアルトは、衣装といい舞台装置といいモーツアルトの本来の時代よりずっと後の時代に設定されているものだが、それは「モーツアルトの音楽」と全く違和感の無い、見事なものであった。
時代設定を変えても、ドン・ジョバンニのドラマ演出としてなんら違和感もなく、むしろ男女のやり取りに現実的な緊迫感を出すことに成功している。
一点だけ気にかかったのは、舞台装置の関係で歌手の声が(舞台)左右・天井に逃げていて、おそらく客席には十分な状態で届いていないのではないか・・・と思われた点だ。声が前に飛んできていないのだ。これがわずかに残念に思われた部分であった。
この劇場の「モーツアルト」は、伝統をきちんと踏襲している。オーケストラはモーツアルトのスタイルを美しく音楽化することに成功している。尊敬すべき演奏家達と言えるだろう。指揮はフランツ・ウェルザー・メスト、若いけれどとても優れた指揮者で、全体の音楽の出来の良さは彼の指揮の力による。
全体に平均運動による柔らかい指揮が特徴。フォルテも柔らかく振ることで、それがオーケストラの音質に影響して、柔らかく流麗な音楽が生まれる。こう言う人たちが芸術の精神と魂を伝承してゆくのだと思う。
思いつきのパフォーマンスのような演奏が増えてきている中、チューリッヒ歌劇場の芸術に対するブレの無い取り組みは、大きな救いに感じられる。
福岡ではアメリカ人の入国から国内感染が始まったのですが、福岡市役所担当部署の不始末で、その連絡・報告が随分と遅れてしまい、あげくのはては県と市が責任をなすり合うと言う、とっても恥ずかしい事態を招いている。
日本人の危機管理意識の低さは以前から言われている事だけれど、福岡にもそれが当てはまるのは、県民性から考えても分かるような気がする。
今日、日本のドコに患者が発生しても不思議は無い時期になっているけれど、それでも(よく言えば)大らかなのが福岡の人。「そんな事で役人が勤まると思っているのか!」と叱責されて当然ではあるのだけれど、それでも<お尻に火がつく>まで(今すでについているのだが・・)何もしていないかもしれない。(「迅速な行動」と言う印象が得られないのだ・・・)
発生とともに役所が動いている様子は、少なくとも市民には伝わってこないようだ。今日のテレビ・ニュースに注意していたのだが、ついに何のニュースも流されなかった。最初の福岡市役所の不始末が原因で、広まりつつあるインフルエンザ・・・それでも(我が大野城市においても又)市役所から市民への直接的な働きかけが全く無いのはどうしてだろうか?
ついにキュウリが立派に成長(ちょっと成長しすぎか?)、いよいよ収穫祭となりました。食べる直前に収穫、先ずは『記念撮影』(パシャ)。
スティックに切ってカプリッ!・・・・新鮮はもちろん、透明なシロップのような甘さが、喉もとの余韻としていつまでも残ります。
自宅で育てたものは『思い入れ』があって格別です。小さな子どもの居る家庭では、犬などのペットを飼うことも良いことだと思いますが、同じように野菜一つを育ててみるのも良いのではないかと思いました。作った人のことを想えたり、感謝の気持ちが芽生えたり、食べ物を粗末に扱わなくなったり・・・とか、子どもの心を育てることにも繋がると感じた“収穫祭”でした。
「なす」も「ピーマン」も、出番を待っています。
《収穫祭・二日目》
今日はいよいよ「なす」と「ピーマン」の収穫です。初日と同じように記念撮影(パシャ!)。
「なす」はみそ汁に入れ、「ピーマン」は軽く油炒めして主菜に添えました。ピーマンを細く切って、生で味見してみると・・・「溌剌とした若さに、苦みの走ったイイ男!」・・・と言う感じです。山笠の<櫛田入り>スタート3秒前。イガグリ頭にキリリと鉢巻きしめて、カッっと見開いた眼・・・そんな博多の若衆の、ストレートで“けれん味”の無い姿を思い浮かべます。(自分の家で育てたピーマンだと、こうまでにも思い入れが高じてくるとは!コ・レ・イ・カ・ニッ!!)
みそ汁に入れた「なす」の優しい甘さにも驚きました。とても控えめで優しい三温糖のような甘さ・・・。
かくして、二日間に渡る“我が家の収穫祭”は、家中の大いなる盛り上がりの中に、無事終了いたしました。
<初日の「キュウリ」。二日目の「なす」と「ピーマン」>

本人は「スケールの大きなピアニストになりたい」と抱負を語っています。生まれつき音感に優れた彼は、一度聴いた音楽は直ぐに覚えて弾けた・・・と言うエピソードを持っています。まるで《のだめ》みたいですね。
彼が生まれつき全盲であったことは、(お気の毒には感じはしますが)今回の結果を見れば、テレビ等の視覚から入る雑念が遮断されて、かえって良かったのかも知れません。
「音楽」と「自らの魂」とに向き合って、本当の意味での音楽家として熟成し、大成してもらいたいものだと希望します。今の日本に一番求められているのは、そのような音楽家ですから。
これから五週間ほど、曇り空と小雨が続くことでしょう。例年の福岡の梅雨は、博多山笠の最終日、7月15日をもって明けるとされています。
物置・倉庫を開いて、買い置きしている<除湿乾燥剤>を新しいものと入れ替えましょう・・・・。