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クラシック音楽、jmc音楽教室、音楽企画制作、音楽普及活動、青少年健全育成、メールはjmc2001jp@gmail.com宛


by jmc_music2001jp

 私の音楽における最も貴重な体験は、今から四十年程も前にさかのぼります。欧州留学の第一歩を印したザルツブルグにおける「出会い」、それは偶然とも言えるものでした。


 旧市街、ホーエン・ザルツブルグ城の建つ小高い丘は、爽やかな夏の風と美しい緑に包まれた格好の散歩道でした。ある日、その丘を縦走するコースを散策いたしました。ザルツァッハ川の下流側から登り、ホーエン・ザルツブルグ城の下を通り過ぎて、上流側の端までの道を歩いたのです。


 旧市街を左手に見ながら、丘の端にたどり着いたのは夕方近く。柔らかい夕暮れの日差しが辺りの風景をオレンジ色に染めはじめていました。突き当たりまで来ると、道は右側にカーブをきり、丘の裏側へとつづいています。カーブするところにアーチ状の門があり、見上げる位置にマリア様の像が立っていました。


 丘の裏側は、遠くオーストリア・アルプスの峰々を背景に、教会の尖塔が夕日に輝く美しい風景がひろがっていました。道にそって丘の裏側にUターンしますと、右手に門があります。修道院のお御堂、私は大きな重い木の扉を押して、中に入りました。


 誰一人いないお御堂の中は、暗く静まりかえっています。堂内をゆっくりと見たあと、後方にある木の古い長椅子に座りました。薄暗い静寂の中で、まるで止まってしまったかのような時の流れ・・・。


 修道院の小さな鐘がなり、後方の頭上から人の歩む足音が聞こえました。二階部分の窓がお御堂の内部へ向かって半開きとなっています、そして何やらもの音がした後、お御堂の中にオルガンの音が流れ込んでまいりました。“夕べの祈り”が始まったのです。予想外の出来事に、静かに耳を傾けながら座り続けました。


 お祈りの言葉はありません。すべてが賛美歌です・・・。そして、聴くうちにそれが「歌」さらには「音楽」ですら無いことに気付かされました。そのすべてが「祈り」そのものだったのです。それ以外の何物も、そこにはありません。


 ヨーロッパに着いたばかりの私は、日本での音楽活動のことを思い返していました・・・我々は「何か」をやろうとしすぎていたのではないか・・・、ほとんど意味も分からぬままに、何かを「表現」することが演奏することだと思ってはいなかったか・・・・。


 この体験が私の音楽人生のターニング・ポイントになったことは確かです。その後、ザルツブルグを訪問する度に、私は必ずここ(ノンベルク修道院)を訪ねます。旅の同行者にも是非とも体験してもらいたくて訪れるのが、ノンベルク修道院の“夕べの祈り”です。


 今日、音楽に「魂」が失われ、宗教音楽にさえ「祈り」が見失われています。音楽が「表現」の一手段となり、演奏がパフォーマンスと化しています。「魂」はどこにいったのでしょうか?「心」は何処にその住処を変えてしまったのでしょうか?これは、単に「音楽」だけの問題ではなく、現代という「時代の精神」の抱える問題なのではないのだろうか・・・そんな気がしてなりません。

ターニングポイント〝 祈り〟との出会い  2018年 01月 15日_d0016397_00202289.jpg


# by jmc_music2001jp | 2022-09-03 00:20

音楽と言葉  大畑恵三

毎日新聞(夕刊) 1980年(昭和55年) 4月14日(月曜日)
音楽と言葉  大畑恵三     
  ウィーンのミサから考える  
     精神のあり方を 自覚させる音楽
 一九七九年の暮れは、生まれて初めて外国で過ごすことになった。暮れはまずクリスマスである。日本でも毎年教会のミサには参列していたので、キリスト教国での初めてのクリスマスは最初から大きな期待を持った事柄の一つであった。ウィーンには、町の中心となっているシュテファン大聖堂を初めとして多くの教会があるが、私はバロック教会として有名なカールス教会のミサに参列した。
 二十四日は霙(みぞれ)まじりの大変寒い日で、ミサの始まる一時間半ほど前に教会に着いた。夜の十一時から、神父様のお祈りとパイプオルガンの演奏するバッハを交互に聴きながら二十五日の午前零時を迎える。三々五々集まった信者達で教会の中は一杯になり、零時十分から室内オーケストラとパイプオルガン、合唱、独唱つきのクリスマスのミサが始まった。
 最初のお祈りの後にかすかに音楽が聴こえてきた。暗く静かな教会の中に流れ込んでくるその音楽は、聴く人の心を何か遥(はる)かなものへ向けさせるようであった。きっとこの人達は、この音楽を耳にしながら再びめぐり来たクリスマスと人生の来し方について想うのであろう。心が静まり、そして心が何かを迎えようと跪(ひざまず)くのを覚えた。
 続くお祈りの最中に、オーケストラと合唱が祭壇とは反対側にある二階のパイプオルガンの位置に着く。私はオーケストラを背にして、中央通路の手前の一番前に立った。
 正面に祭壇があり、見上げると神を示すものであろう黄金色の紋様がある。お祈りと交互演に演奏される音楽を聴きながら、私は終始この紋様を見上げていた。そうするうちに、祭壇上の紋様が演奏される音楽によって違って見えてくることに気が付いて驚いた。演奏される音楽によって教会内の空気がまるで変わってしまったように感じられ、見上げている紋様までが違って見えてくるのである。人間の五感とは、いったい何であろう。
 音楽は喜びを語り、神に対する畏(い)敬の念を表し、人生の至福を表現し、厳粛な気持ちを起こさせ、輝かしい神の栄光を示すーー何と言うことだろう。人々は間違いなく演奏される音楽によって導かれているのである。音楽は人間の五感の根源に直接作用し、心の在り方を整え、それを呼び起こす。それは特定のサイクルを持つ音叉(おんさ)が共鳴箱を接して共鳴し合うような状態に似て、我々人間の精神の奥底に作用し、ある精神の在り方を自覚させてくれる。
 確かに全員が自覚しているのである。それは「聴いている」という言葉では説明し切れない状態であり。ましてや「鑑賞」などというのん気な言葉とはまるで縁のない世界なのだ。そして、それはいかに精密に組み立てようとも「言葉」というザルには引っかかってはくれない代物である。「感動」という自覚から何人もの人が音楽を言葉の中に捕らえてみたいと欲求し、苛(いら)立つのだが、ついに一人として成功したものはいない。
 言葉は精神の根源の自覚を説明するには、あまりにも曖昧(あいまい)でありすぎるのだろう。それは音楽による自覚のあまりにも明確な事と、好対照をなしている。自覚には言葉は不要である。それには、おそらく「祈る」という精神状態が最もふさわしいのかもしれない。
 ミサの終わり近くになって、世界中の誰もが知っている歌「きよし この夜」が全員の合唱で演奏された。この時、教会内の空気は神の高みではなく、共に生き共に集う人々の共感を感じさせてくれた。音楽がミサの内容を語り、その祈りの心を導き出し、神の世界にふれさせてくれる。
 毎日曜日のミサ、毎年のクリスマスーーこうした中で西洋の音楽は、人間にとって最も大切なものとともに、はぐくまれ育てられてきたのだ。
(指揮者。ウィーンに留学中。留守宅は福岡県大野城市)
<写真>ウィーンのカールス教会(昨年12月25日、大畑氏写す)
音楽と言葉  大畑恵三_d0016397_20271636.jpg

# by jmc_music2001jp | 2022-09-01 20:27
 ヨーロッパ留学に第一歩を印したザルツブルグでは、本当の意味で充実した沢山の体験をさせていただいたと思います。ウィーン・フィルのコンサートマスターを永年務められたライナー・キュッヒルさんの夏の別邸にお招きいただいたのも貴重な体験の一つです。
 ザルツブルグ音楽祭は、オペラ公演でのオーケストラはウィーン・フィルハーモニー管弦楽団が定番で、音楽祭の後半にはベルリン・フィルハーモニーのオーケストラ公演が組まれるのが常でした。
 ウィーン・フィルのコンサート・マスターとして、夏のキュッヒルさんはいつもザルツブルグで過ごされます。その夏の別邸にお招きいただく機会を得て、旧市街の中心部からバスで10分程の夏のお住まいを訪れました。
 部屋に入ると、先ず部屋の中を案内してくれました。押入れの扉を開けたり、食器棚の引き出しを開けては「夏だけの住まいだから、食器類も少ないんだ」・・・などと。なんだか少し不思議な思いでキュッヒルさんの後をついていったものです。その意味を知ったのは、帰国して何年も経った後の事でした。心を開いて客人を迎える時、普段わざわざ他人に見せることなどしない押入れの中や扉を開いて見せることで、気持ちを開いて内側に招き入れていることを示すのだそうです・・・そう言う<意味>だったのか….!今更ながらに有難く感じたものでした。中庭でバトミントンをしたのも、楽しい思い出です。
 ウィーンに移り住んでからも、何度がお住まいに遊びに行きました。奥様から、住み込みでお嬢さんの世話や家事の手伝いをしてくれる留学生の女の子を紹介して欲しいと頼まれ、留学生仲間で一番気立の良い女の子を紹介したこともあります。風の便りでその子は同じ留学生仲間のコントラバス奏者と結婚したそうで、きっと幸せに暮らしていることでしょう。
 今振り返ると、キュッヒルさんからウィーン・フィルの本番リハーサルに入れていただけたことが、ウィーン留学の意義の半分を占めているようにさえ感じます。カール・ベーム、リカルド・ムーティー、カルロス・クライバー、レナード・バーンスタイン等々・・・得難い程の音楽的体験でありました。

<ライナー・キュッヒルさん>_d0016397_18285581.jpg


# by jmc_music2001jp | 2022-08-31 18:29
 ベルリオーズ『ファウストのごう罰』の本番終了後、夕食は何にするかの話になって、小沢さんが「チャイニーズ!」と一言。私が宵闇迫る旧市街に飛び出して、急いで中華レストランを見つけてご案内した(所謂<パシリ>ですね・・)。

 写真はその中華レストランで。小沢さんも若いけれど、私も若い!。私の右隣はボストン響に随行した小沢さん専用の鍼灸師。リハーサル後には控室で鍼灸治療、ベスト・コンディションを保つための心掛けですね....。他のメンバーはボストン響の事務方の皆さんです。
.
 ヨーロッパに第一歩を刻んだザルツブルグでは、色々貴重な体験をさせていただきました。先代の梶本音楽事務所の社長さんが「これからへブラーのコンサートに顔出すけど、行くかい?」とおっしゃる。勿論「はいッ!」と即答です。モーツアルト弾きで高名なイングリット・へブラーの別荘で開催された連弾のコンサートに入れてもらい、終演後にはへブラーに紹介してもいただいた。(幸運としか言いようがありません)。
ボストン響、夕食は中華レストランで_d0016397_15022704.jpg

# by jmc_music2001jp | 2022-08-27 15:02
 ベルリオーズ『ファウストのごう罰』の本番終了後、夕食は何にするかの話になって、小沢さんが「チャイニーズ!」と一言。私が宵闇迫る旧市街に飛び出して、急いで中華レストランを見つけてご案内した(所謂<パシリ>ですね・・)。

 写真はその中華レストランで。小沢さんも若いけれど、私も若い!。私の右隣はボストン響に随行した小沢さん専用の鍼灸師。リハーサル後には控室で鍼灸治療、ベスト・コンディションを保つための心掛けですね....。他のメンバーはボストン響の事務方の皆さんです。
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 ヨーロッパに第一歩を刻んだザルツブルグでは、色々貴重な体験をさせていただきました。先代の梶本音楽事務所の社長さんが「これからへブラーのコンサートに顔出すけど、行くかい?」とおっしゃる。勿論「はいッ!」と即答です。モーツアルト弾きで高名なイングリット・へブラーの別荘で開催された連弾のコンサートに入れてもらい、終演後にはへブラーに紹介してもいただいた。(幸運としか言いようがありません)。
ボストン響、夕食は中華レストランで_d0016397_15022704.jpg

# by jmc_music2001jp | 2022-08-27 15:02