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色々やらなくてはならぬ事が沢山あって、正直<大変>ではありますが「千里の道も一歩より始まる」40年前にウィーン留学から帰国し取り掛かったのが発端です。
20年前、秋山和慶(指揮者)と『恩師・斎藤秀雄の遺志を継承する事業』を立ち上げるべく開始した、研究・検討がようやく3年前に一つの結論を得ました。その青写真に基づいてシステムの構築に取り組んでいます。
https://jmc-musicschool.com
7月30日(日)は恒例の《夏のミニ・コンサート》。ピアノの独奏を中心とした発表会です。今回の特色の一つは、子供達とお母さんの連弾が沢山見られること、jmc音楽教室の卒業生がお母さんになって、そのお子さんが新たな生徒として入室する例が沢山あって、その嬉しい姿が連弾のプログラムとして現れていて、なんとも微笑ましい・嬉しい光景です。
社会人の生徒さんにはモーツアルトの歌劇「後宮よりの逃走」のNo.6コンスタンツェのアリアに挑戦する生徒もいます。音大の卒業生でも難しいアリアを、基本から一歩一歩歩みを進めた末に挑戦する・・素晴らしいと思います。指導者として非常にやり甲斐を感じます。是非とも頑張って欲しい、そう願います。
プログラム表紙の写真はイタリア・スイスを旅した折、ブラームスが夏の避暑地として滞在したトゥーン湖をクルージングした時のものです。この旅ではミラノで見た「最後の晩餐」・ハーダークルムで我々のために特別にヨーデルのグループを呼んで頂いて、アルプスを背景にして野外でヨーデルを聴いたこと等が強く心に残っています。
日本のブラス(特に学生)に共通する<問題点>が存在すると、永年感じ続けてきた・・「リズム」の問題だ。非常に多くのブラスバンドでは、金賞を受賞する団体までもが、共通して『リズムが無い!』のだ。
細かい音符の譜割りは緻密に演奏するのだけれど、イザその<リズム>となったら、全くの平板の演奏に終始している・・・それは本当に驚くほど<リズムが無い!>。
歴史的民族的特性が言語にまで影響して、見事なほどリズム感に乏しい感性を育んだ(数少ない例外として「阿波踊り」があるのかもしれないが....)。
日本は『農耕民族』、「苗を水田に植えつける」作業<ダウンビート>が生命を存えることへの第一歩となる。日本民族のビート感の根源がここかから生まれる。一方西欧は狩猟民族。鎧に足を乗せ、乗馬を乗りこなす膝が生み出すリズムは<アップビート>。<アップビート>と<ダウンビート>、楽譜にはそのような相違を指摘する楽語は存在しない、そのような楽譜を<ダウンビート>の民族が演奏すれば、見事にダウンビートの音楽が生まれることになる。
しかし、考えてもみて欲しい。例えば役者としてお芝居に出演するとして、京都のお公家さんの芝居をチャキチャキの江戸弁で歯切れ良くこなしてしまったらどうだろう?例えば「遠山の金さん」をコテコテの難破言葉でやってしまったら・・・もうソレはギャグ以外の何物でも無い世界となる。
民族の持つリズム感、イントネーション、音質などはその国の民族(作曲家)の魂・精神・心情と密接不可分なものであることは自明であろう。そのような部分を無視して楽譜の譜割りの指示を再現することにのみ異常に集中することで事足りるのだろうか?大いに疑問が残る。
第Ⅱ巻に<リズム>の項目を加筆しようと考えている。果たして<リズム>は何処から生み出されるのか?・・・案外、知らない人が多いのでは無いだろうか。