写真はその中華レストランで。小沢さんも若いけれど、私も若い!。私の右隣はボストン響に随行した小沢さん専用の鍼灸師。リハーサル後には控室で鍼灸治療、ベスト・コンディションを保つための心掛けですね....。他のメンバーはボストン響の事務方の皆さんです。
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ヨーロッパに第一歩を刻んだザルツブルグでは、色々貴重な体験をさせていただきました。先代の梶本音楽事務所の社長さんが「これからへブラーのコンサートに顔出すけど、行くかい?」とおっしゃる。勿論「はいッ!」と即答です。モーツアルト弾きで高名なイングリット・へブラーの別荘で開催された連弾のコンサートに入れてもらい、終演後にはへブラーに紹介してもいただいた。(幸運としか言いようがありません)。
写真はその中華レストランで。小沢さんも若いけれど、私も若い!。私の右隣はボストン響に随行した小沢さん専用の鍼灸師。リハーサル後には控室で鍼灸治療、ベスト・コンディションを保つための心掛けですね....。他のメンバーはボストン響の事務方の皆さんです。
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ヨーロッパに第一歩を刻んだザルツブルグでは、色々貴重な体験をさせていただきました。先代の梶本音楽事務所の社長さんが「これからへブラーのコンサートに顔出すけど、行くかい?」とおっしゃる。勿論「はいッ!」と即答です。モーツアルト弾きで高名なイングリット・へブラーの別荘で開催された連弾のコンサートに入れてもらい、終演後にはへブラーに紹介してもいただいた。(幸運としか言いようがありません)。
昭和54年10月19日 金曜日 西日本新聞 (夕刊)
熱狂を呼んだ小澤征爾 ザルツブルグ音楽祭 大畑恵三
オーストリアのザルツブルグはチロル地方のはずれにあり夏は乾燥してとてもしのぎやすいが、天気が変わりやすく、朝は快晴、夕は雨ということもしばしばだった。日本だと北海道ぐらいらしく、八月末は町中がコート姿になってしまった。
十一世紀に築かれたホーエン・ザルツブルグ城を象徴とするこの町は、全体が昔のままの姿で残され、人々はゆったりしたテンポで生活している。しかし、毎年のザルツブルグ音楽祭(七月下旬から八月末)の期間には、音楽祭目当てに世界中からファンが集まり、日ごろ十五万の人口が百万にふくれあがる。
五つの会場で連日行われる演奏会は正装の客で満員になり、中心会場であるフェスト・シュピーゲル・ハウス前の道路にはドレス・アップのご婦人方の衣装を見るために人がきができる始末だった。町のショーウィンドーには今年の出演者のパネルがいたるところに掲げられ、町全体が音楽一色となり、ヨーロッパの夏の音楽祭の中心地としての華やかさと活気にあふれる。なにしろ、この音楽祭だけで一年分の収入をあげてしまうというから驚きで、このような町はほかにはあるまい。約五週間のシーズンを終えると、人ひとり見あたらないような町になるのに。
今年の音楽祭は七月二十五日、カラヤン=ウィーン・フィルによるベルディの『アイーダ』で開幕した。私は第二回公演を中心会場であるフェスト・シュピーゲル・ハウスで聴いたが、指揮、オーケストラ、歌、舞台すべてが聴衆を十二分にうならせるものだった。舞台装置や演出までカラヤンが担当、とにかくすべて一流にという考えが徹底していて『日本ではあと五十年か百年はかかるのでは?』と思ってしまった。
この音楽祭は質的に世界最高と言ってもよく、ベーム、カラヤン、バーンスタイン、小沢、アバド、ムーティー、ピアノではポリーニ、ワイセンベルク、ゲルバーなど、世界の一流が連日その腕をきそった。なかでもバーンスタイン指揮、イスラエル響によるプロコフィエフの『交響曲第五番』は、名演中の名演だった。立体映画でも見ているかのように、つぎからつぎへと飛び出してくるリズムと音の渦は会場全体を巻き込んでしまい、楽章間の小休止にもセキ一つ聞かれないほど異様なふん囲気になってしまった。バーンスタインの偉大さを十二分に知らされた演奏会だった。
それにしても、音楽の一番肝心なものは、レコードにはけっして入りきれないのだと痛感した。マイクロフォンから採られた音は、その音楽の外形と骨組みをレコードの音溝に残すのみで、今しぼり出され、生まれたばかりの音楽のエーテルのようなものは、そのときの聴衆の心に強い印象を残したまま、元の宇宙の裏側に消え去ってしまい、けっして現在のマイクロフォンでは採集できないものなのだ。この点が、出来、不出来はあってもナマの演奏会でなければならぬ決定的理由であり、もしレコードだけで音楽的感性を養うとすれば、それは恐ろしいことだ。
小澤征爾=ボストン響は、音楽祭の後半に二回開かれた。初日は八月二十五日で、バルトークとブラームスというプログラムは聴衆を熱狂させたそうだ。私は小沢さんの親切で、二十六日のリハーサルと本番に入れていただいた。リハーサルのとき、突然カラヤンが舞台に現れ、ボストンのメンバーに『私は現在とても忙しいが、引退(ベルリン・フィルを)したら、まっ先にボストン響を振る』と言い、全団員の喜びの拍手かっさいを浴びた。カラヤンが次期ベルリン・フィルの音楽監督候補三人のなかに、小沢さんの名を挙げたと言われている昨今、興味深かった。本番にもカラヤンが姿を見せていた。
本番はベルリオーズの『ファウストのごう罰』全曲だった。柔らかく輝かしい音色と、しなやかなリズム、どこをとってもすばらしく完ぺきな演奏で、曲が静かに終わると、それを受けるように静かに始まった拍手は時がたつにつれ興奮の渦に変わり、全体の拍手とブラボーで、オーケストラが退場したあとも何回となくカーテンコールが繰り返された。小沢さんの指揮はもちろんだが、フィッシャー・ディスカウの『メフィスト』のキャラクター作りや、ソプラノのフェでリーカ・フォン・スターデは後世に残る名歌手の素質を持っていると感じさせられた。
この後、カラヤン=ベルリン・フィルなどの演奏会がいくつか行われ、八月末日に音楽祭は終わり、ザルツブルグは寒さとともに急激に秋を迎えた。 (指揮者・ウィーン留学中。福岡市出身)
(*左上写真)ボストン交響楽団を指揮する小澤征爾=ザルツブルグ音楽祭リハーサルから(筆者写す)